妄想。

子どもの頃に、「食べ物を玩具(おもちゃ)にするんじゃない!!」と叱られたことって、誰しもあるんじゃないのかな。
ダリの『カタルーニャのパン』(下画像)が、ちょうど、“食べ物を玩具(おもちゃ)に”したような絵で、かつ、勃起したファロスを思わすパンとあらば、“玩具(おもちゃ)に”してみたくもなろうというもの。^^
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さて、いま読んでいる、田坂昂の『三島由紀夫論』のなかに、「奇体な玩具」ということば出てきて、なかなかに、意味深長である。


 すでにここ一年あまり、私は奇体な玩具(おもちゃ)をあてがはれた子供の悩みを悩ん
 でゐた。十三歳であつた。


ユッキーこと、三島由紀夫の『仮面の告白』、第二章は、この一文から始まっている。
当然、“奇体な玩具”とは、“私”自身、或いは、ユッキー自身のファロスにほかならない。
とはいえ、田坂もユッキーも、“奇体な玩具”を“ファロス”と直截には書いていない。
なぜなら、“奇体な玩具”とは、物語における仮象であり比喩であるのだから、、、
そんなわけで、ダリの“勃起したファロス”そのものを描いた絵も、“仮象であり比喩である”必要があるというわけだ。
“必要がある”という意味においては、カラヴァッジオの『ナルキッソス』(下画像)も、そう見ることができるだろう。


 とりわけ印象的なのは、少年の白く輝く片膝である。もう一つの膝は、うしろに引か
 れてほとんどその存在を感じさせない。この前方に突き出た膝は、しばしば指摘され
 るように、男根の位置を占めている。だとすれば、彼は水のなかの少年に対して勃起
 しているわけだ。
 
                            谷川渥『鏡と皮膚』より


つまり、カラヴァッジオは、己の姿に見いるナルキッソスの生理的な“必要”性から、その突き出た膝を、少年のファロスに見立てたのだろう。
暗喩とは、妄想の別称だろうか、、、
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by viola-mania | 2007-09-16 07:01


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