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サド候爵の幻想。

一時期、マイブームという言葉が流行りましたが、その頃、「マイブームは?」と訊かれて、「サド」と答えたことがありました。
“サドマゾ”のそれではなくて、、、あ、語源はそうかもしれませんが。
そんなこんなで、バスチィユの牢獄よろしく、シブサワ訳による、マルキ・ド・サドの著作を、仄暗い自室で読み耽っていた記憶が、この「澁澤龍彦初期小説集/サド候爵の幻想」を読み進めてゆくうちに甦りました。
牢獄という名の孤独のなかにありながら、レンズを磨く天文学者のように、その孤独を愛撫するサド候爵。
そんな候爵の前に現われた、美青年。或いは、聖義人(サン・ジユスト)。
その青年と教義問答をやらかす候爵は、しかし、幽霊のごとくそこに存在している青年をさえ、すでに存在しているという事実において、幽霊にあらざるものとみなしています。
或いは、そのカテシズムは、候爵の自問自答だったのかもしれませんね。

 ——俺の心が割れるとな? ふん、それもよかろう。実を言えば二三日前から、そんな予感がしないでもなかった
 ね。何しろ太ってしもうた。ちょうど時候も暑いし、さぞ清々するだろうて。だが、……
 ——だが、何です?
 ——だが、ちっとやそっとじゃ無理だろうってことさ。つまり、俺の心の頑迷さは牢屋の機構と密接な関係があ
 る。こいつをどうにかしない分にゃ……
 ——窓からのぞくことです。
 ——なに。
 ——いや、風通しをよくするということの譬ですよ。

                                       澁澤龍彦「サド候爵の幻想」

牢獄或いは、サド候爵にとっては、ユートピアであったのかもしれないその場所は、実際には墓場でしかなかった。
バスチィユから、シャラントンの瘋癲病院に護送収容された侯爵は、

 ——地上に悪の根源がなくなったら……人間の精神は死ぬしかないか?

とうつろな思考の糸をたぐっていたのですから。。。
サド候爵の幻想。_d0004250_23354639.jpg

by viola-mania | 2005-05-13 23:40


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