左右。

思想史家、千坂恭二さんが、戦後、タブーとされた、ファシズム関連の思想を、ナチとのそれに照らし、その関連のみが取沙汰されがちだった、ドイツの作家、エルンスト・ユンガーについて触れたとき、ふと、個人誌『薔薇窗』の同人、弘田 龍くんの顔が浮かびました。
さて、「世界革命戦争・全共闘から大東亜戦争へ」と題された、このトークセッションが、雑誌『悍(はん)』編集人、前田年昭さんから、聴講者へ質問を受けつける段になると、あらためて、その内容が充実したものであったことに気づき、
「えっ!! もう終わりなの!?」
とそれとは裏腹な、物足りなさを感じました。
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そんな聴講者たちのために、前田さんが用意してくださった二次会への出席を、でも、住まいが遠方ということからパス。
さて退散しようと会場の外へ出ると、そこにいるのが当然であるかのように? 龍くんが立っていて、セッションが行われていた、池袋、淳久堂書店の4階から1階へエスカレーターを使って降りると、そのフロアにあるベンチに座り、いつかのイベントのときのように、この店の閉店時間まで、龍くんとしゃべり込むことにしました。
前田さんが質問を受けつけたとき、手を上げようか躊躇したという、龍くんの質問におおきく頷くと、日本浪漫派とユッキーこと三島由紀夫のことが気になりました。
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そんなこんなで、その日中、江戸へ出るついでとばかりに、「タコシェ」と「古書往来座」への『薔薇窗』の納品を済ませると、手荷物を凝視、、、本来であれば、「スミレ貯金」へプールしなければならないところの売り上げ、一万円は、その手荷物である「コンバース」のスニーカーへと転身? していました。
スミレ編集長の「コンバース」ずきは、つとに有名です。。。
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*画像、上、前田年昭さん編輯による雑誌『悍(はん)』、央、千坂恭二さんVS前田年昭さん、下、右とか左とか。
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# by viola-mania | 2009-03-01 11:09 | 雑感

笑造。

秋の花粉に対するアレルギーを発症して以来、冬の低温症と、そして、ことしこそは、春の花粉にも悩まされそうな予感に、いよいよ外せなくなったマスクの下で、最近、秘かに「笑顔のつくりかた」を勉強しています。
きのうなんかも、電車のなかで、疲弊した頭をコックリさせていたら、はや、車窓の向こうには「上野」の文字。
ふたたび、頭をコックリさせたら乗り過ごしてしまいそうな勢いに、戸口の上のモニターを、もはや、使い物にならなくなった目で眺めていると、画面は、「笑顔のつくりかた」を教示し始め、思わずマスクの下で、イーとかウーとかやっているうちに、いつしか、眠気も覚めていました。
ところで、おとついきのうと仕事をご一緒した、編輯子のMさんは、笑顔が素敵なおぢさまで、そのチャーミングな人柄に接するたび、自然と笑顔が、このマスクの下に出来上がっているから、アラ不思議。
なるほど、「笑顔」って、つくるものではなく、なるものなのだと、笑顔率? の高いひとのかたわらで、その横顔を眺めつつ思いました。。。
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# by viola-mania | 2009-02-22 21:37 | 雑感

華客。

「あなたのいない右側に♪」
などと思わず口ずさんでしまった、このたびの出店ブースは、「ファンタジー」。
そんなわけで、ひとりで参加するイベントは、このうえなく心細い。
とはいえ、「ファンタジー」といったカテゴリーに対する先入観がそうさせたものか、両隣りのひとたちの柔らかい笑顔に、マスクの下の頬も自然と弛んでゆくのでした。
開場とともに来店したいちげんさんの女性に、ついで来店したリピーターの男性に、それから、思いも寄らずにお越しいただいた編輯子のMさんに、おまけにお隣さんにも、それぞれ新しい『薔薇窗』をお買い上げいただくと、
「案外、ファンタジー・ブース、いけるんちゃう!!」
といつもの調子に乗ってけてけてけといったところ。
「それにしても、、、」
と足元のカバンに目をくばせると、ふたりの同人、Hさんと、ほんじつが初対面となるHくんへ差し上げようと持参した、『ヒアキントス』(タブロイド)のバックナンバーをいれた茶色い封筒が目につき、これも、昨年、この「スミレノオト」を読まれてお越しいただいた小鳩さんへ差し上げようと持参した、『スミレ日誌・抄』(私家版)をいれたビニール袋が目につきました。
「はて、来てくださるかしらん」
と思っていた矢先にあらわれた小鳩さんに、これも新しい「蛇腹本」をお買い上げいただきながら、チョコレートをいただいてしまった、きょうはバレンタインデーの翌日。
そんでもって、閉場1時間前にあらわれた、ふたりの同人、HさんとHくんとは、イベントが退けたあとの2時間あまりを、ビッグサイト内のコンコースに設けられたベンチに座って過ごし、Hくんから送ってもらった彼の修士論文をひらきつつ、三人で輪講。
「<薔薇窗>を始めて、14年になるんだけど、そのどこで子供と大人がすれ違ったのかが、よくわからないんだよね」
とこの若き精鋭たちを双方に仰ぎ見つつ、ふと、そんな感慨をもらしていました。

*画像、きょうはバレンタインデーの翌日。
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# by viola-mania | 2009-02-15 22:58 | 雑感

告知。

自主制作漫画誌展示即売会 COMITIA87

日程:2009年 2月 15日(日) 11:00〜15:30
場所:有明・東京ビッグサイト東1ホール
   (JR「大崎」orJR・地下鉄「新木場」〜りんかい線「国際展示場」下車8分)
   (JR「新橋」〜“ゆりかもめ”で約25分「国際展示場正門」下車2分)

スペースNo.と30a 書肆菫礼荘

↑こちらに出展しています。ぜひ、遊びに来てください。
また、当日は、耽美文藝誌「薔薇窗」19号(最新号)、蛇腹本「郁乎隔(いくよへだてつ)」
(新刊)他を販売いたします。
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# by viola-mania | 2009-02-15 15:30 | 告知

隣家。

この土地に古くから住む、我が家とは庭続きではないお隣さんと、ことばらしいことばを交わしたのは、はじめてのことでした。
「この八段ある塀のうち二段を壊させてもらいます、、、市の条例で、六段以上積んではいけないことになっていますので」
というご主人とは、一時期、同じバスに乗り合わせたことがあったけれど、その朴訥とした見かけどおりのアルトは、夕闇につつまれたご主人の姿と相まって、オイラに、大樹のような強い存在感を与えました。
一方、奥さんのほうは能弁なソプラノで、その塀を取り壊すといった我が家との垣根を越えて、近く、娘夫婦と同居すること、それについては、家を建て直し二世帯住宅にすることなどの諸事情を、そのかたわらで大樹ぜんとしているご主人の枝に止まり、歌うように語っていました。
「で、工事はいつまでなんですか?」
「10月までの予定です」
といって薄暮の情景のなか、それだけがひときわ目を惹いていた、黄色い小さな包みをオイラに手渡しながら、
「これ、つまらないものですけど」
との義理立てを、オイラにお仕着せるのでした。
とはいえ、この夫婦の申し立てに、意義などあろうはずもないオイラは、その仕着(しきせ)に袖を通しつつ、これまで、顔を合わせていながら、そのタイミングを逸し、挨拶ができないでいたことを詫びたのです。
長らく隣に住んでいながら、ただの一度も挨拶をしなかったことは、オイラの理屈に適った方便であるのですが、やっぱりそれでは、ひととして重要な欠陥があると感じたからでした。
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それから二週間あまりが過ぎ、、、
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隣の家がなくなり、新たな家屋が建つまでのつかの間、思いもよらずにもたらされた、この日当りと見晴らしは、いったい、、、
これまで、そんな天よりの恵み? があったことを、知らずに暮らしてきたオイラは、でも、そのことを尊ぶよりも、その家屋がなくなったことで、外からの風当りと見晴らしとを、気にしなければならなくなった、築50年にもなる我が家と、その浅茅生(あさじふ)を、うとましく感じるのでした。
「すみませーん!!」
と外からの呼び掛けに、玄関先へ出てみると、八段あったブロック塀は、その半分を残し取り壊されていて、ついで、
「壁を壊したとき、自転車も壊しちゃいまして、、、」
と前輪のスポークを示しながら、その申しわけをしている作業員に、でも、悪気があってそうしたわけでもあるまいと、しばらく乗らないうちにすっかり錆びついてしまった自転車と、作業員の顔をとみこうみしながら、
「走れるようにしてもらえればいいですよ」
と我ながら寛容な態度。
とはいえ、錆ついた自転車を目の前に、強い態度をとれなかったというのが、実際のところでした。
はたして、錆ついているのは自転車だけでしょうか、、、
と散髪のおり、その店のご主人との会話のうちに、そんなことを考えました。
「でも、そーいう家って、或意味、この町の文化だぜ」
というご主人のそれに、隣の家屋なきあと、そこにぽつねんと佇む、我が家と、その“浅茅生(あさじふ)を、うとましく感じ”ていた気持ちが、少し晴れたような気がしました。
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*画像、上、解体工事が始まったお隣を小庭越しに臨むの図、中、日当り、見晴らし、ともに良好、下、村井さんのヘルメット。
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# by viola-mania | 2009-02-08 11:29 | 雑感

立止。

仕事帰りに立ち寄った古書店の店先で、『朝日新聞の用語の手びき』を見かけました。
そのこぶりな判型に気持ちが揺らぐも、買ったところで、20数年前の用語辞典など、使えるべくもありません。
それに、財布から小銭を出すのも、少し億劫。
とはいえ、100円ならば悪くない買い物だし、この手の辞典を集めている、編輯子Mさんとの話の種にもなろうというもの。
そんなわけで、神田教会の前で立ち止まると、いま来た100メートルあまりの道を引き返し、その用語辞典を買いに戻りました。
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 われわれにとって確実性の根拠になるのが経験であるとすれば、それは勿論過去の経
 験である。
 そしてそれは単なる私の経験といったものではなく、私の知識の源泉である他人の経
 験なのだ。


この薄くなった金文字を、指先でなぞっていたら、ウィトゲンシュタインのこんな一文が思い出されました。
ウィトゲンシュタインは、『確実性の問題』のなかで、我々が何かを「知る」という過程は、「信じる」と同義であるといっています。
つまり、「知る」ことは「信じる」こと抜きには成立しないし、その反対もまた、しかりであると、、、
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 ひとは言うかもしれぬ。われわれが他人を信用するようにさせるのも、やはり経験で
 はないか、と。しかしどんな経験が私に、解剖学や生理学の教科書に嘘が書いていな
 いと信じさせるのか。もっとも、この信頼もまた私自身の経験によって支えられてい
 る、ということは正しいのだが。


いまは使えなくとも、かつてそれを使っていたひとの経験を支えていた、この用語辞典を手に取り、「知る」ことは、“私の知識の源泉である他人の経験”を「信じる」ことなのかもしれない、、、
などと、立ち止まって考えてみます。
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*画像、上、如月を見下ろす、中、薄くなった金文字に立ち止まる、下、如月を見上げる。
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# by viola-mania | 2009-02-01 09:45 | 雑感

地底。

ヘンリー・レビンの『地底探検』のDVDを観ました。
ジュール・ヴェルヌの原作になる『地底旅行』を、窪田般彌訳で読みたいと、創元文庫のそれを買ったはいいけれど、結局、この昭和34年につくられた冒険映画のほうが先になってしまいました。
そんなわけで、クリティックの塊と化したオイラの目には、やはり、この特撮映画は子ども騙しにしか見えないのでした。
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それにしても、「クリスタルの泉」や「キノコの森」や「地底の海」といったそれらが、我々の足元にある風景だと誰が信じられようか!? などと画面に広がる、このランドスケープをシニカルな視線で眺めつつも、やはり、それらを舞台にした登場人物たちの活躍ぶりが気になってしまうのは、この特撮映画に対する人情? というものでしょう。


 科学の究極の目的は 未知の世界の解明だぞ 星や銀河に比べると 地球はまだ知ら
 れていない 秘密はここにある 我々の足元にだ

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とこの映画の主人公、リンデンブロック教授が豪語していたのは、19世紀末のことでした。
それから100年以上が経ち、ヘンリー・レビンの『地底探検』からも50年が経とうとしている現代(いま)、ヴェルヌの冒険小説は、3D技術をもってよみがえりました。
それが、昨年、秋に公開された、『センター・オブ・ジ・アース』なのですが、映画を観ずともわかるのは、その技術に適った迫力だけでしょう。
つまり、地球の中心に降りて行こうとする無謀に際し、パリやロンドンの街でも散策するかのようなスタイルに、木づくりの装置といったアナクロさ加減が、『地底探検』の一番の魅力であり、この映画をキッチュならしめているのです。
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画像、上、「クリスタルの泉」、中、「キノコの森」、下、「地底の海」
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# by viola-mania | 2009-01-25 00:45 | 映画

恩返。

「一万円でいいですか?」
とSuicaのチャージに投じるその額を、もう一度確認すると、
「おばあちゃん、太っ腹!!」
とこちらも、いまさっき、チャージャーに一万円をいれたのはいいけれど、Suicaのチャージに投じたのは、二千円でした。
「ご親切にありがとうございます」
と頭をさげているおばあちゃんに、別段、感謝されるようなことは、何もしていないと思えたオイラは、けさ、立ち寄ったコーヒー・ショップで、買ったばかりの手袋を落とし、それを探しに戻った折り、近くに座っていたおぢさんに、
「手袋、カウンターに預けてあるよ」
といわれ、そのカードで買った手袋(未払い)との再会? に安堵したのでした。
そして、うしろを振り返り、そのおぢさんに頭をさげたところ、軽く手を振るおぢさんの表情は、別段、感謝されるようなことは、何もしていないという風に、はにかんでいました。
とさ。。。

*画像、柔らかにほころぶ寒椿。
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# by viola-mania | 2009-01-18 00:20 | 雑感

雑嚢。

庭の一隅に杉林を持つ我が家の敷地は、この土地に古くから住んでいる、ある一族の所有になるもので、そこに建つ二つの家屋は、賃貸に際し、その境界を、竹や楓(かえで)といった茶の湯の雅趣に必須な植物によって隔て、かつ、移民であるオイラとお隣さんのプライバシーは、その生け垣によって保たれています。
さて、この週末は、冬ざれた庭とて草取りをせにゃあかんとばかりに、それに手をつけるつもりではいたのだけど、パチパチと鳴っている金属音に、
「もしや、大家さんが庭に来ている?」
と枕上(まくらがみ)から聞こえてくる剪定鋏のそれに、布団を上げ、ヒゲをあたり、身繕いを整えると、カーテンをあけて庭に出ました。
「えっ!! 庭師、、、しかも、二人組」
なるほど、「餅は餅屋に」というわけですね。
なまじ素人が、ぞんざいに枝をあたるより、植物にとっては、玄人のそれのほうが、どれだけ救いになるか、、、
などと儲けた時間を託つているオイラって、やっぱ、根っからの不精、否、不粋ものなのだと、先人の残していった庭を顧みつつ想うのでした。

*画像、雑嚢ふたつ?
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# by viola-mania | 2009-01-11 00:30 | 雑感

悪友。

クリスマス・カードを貰ったきり、賀状も出さずに放置してしまった、悪友Kに、その不義理を詫びるべく電話をしてみたところ留守でした。
とはいえ、新年早々聞きたい声でなかったことは確か。
そんなわけで、Kの不在にホッしていたら、
「俺だけど、、、」
と折り返しかかってきたKからの電話にびっくり!!
というのも、当然、着信履歴をもとにかけてきてくれたとばかり思っていたKからの電話は、自発的なそれだったというわけ。
「きのう、近所のともだちと古い<薔薇窗>見てて、そのコがきみの作品いいっていってたよ」
とKの自尊心をくすぐってみたところ、
「何やってるコ?」
と聞かれたので、かくかくしかじか話したら、
「そのコが本出すときいって、俺が装幀してやるからさ」
だって、、、無論、有料で!!
ちなみに、Kの職業はデザイナー。
「“してやるから”って、きみ、いったい何様!?」
と突っ込んでみるも、そーいうオイラも、Kの不在に、
「せっかく電話してやってるのに、何で出ねぇーんだよ」
とかなり、何様のつもり。
とはいえ、唯一、腹を割って話せるのが、この悪友というのもありがたいことで、K以外の誰ともお金の話にならないのは、Kという人間が、ハングリーに世のなかを生きていることの証拠であり、だから、唯一、頼みになるのは、K以外にないということになるのかもしれません。
もっとも、そんな心配をかけないようにするのが、ともだちとしてのたしなみではあるのだけれど、、、


 悪友のひるねの臍に一つぶの葡萄を填(は)めて去る 聖母月   邦雄

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*画像、元日に届いた賀状の束、、、ありがたいことです。
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# by viola-mania | 2009-01-04 00:14 | 雑感