<   2009年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

気質。

自称も含めたガーデナーたちのそれが、肉体労働の末に培われていると知ったきょうの庭仕事は、我が家の神木ともいえる桐の剪定から始まり、桜、薔薇、そして、花期を終えた紫陽花へと移って行ったとき、その剪定鋏(せんていばさみ)によって剪(き)り落とされた手ごたえに、それぞれの植物が持つ気質のようなものを感じました。
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剪(き)ってもすぐにおおきくなる桐は、そんな見かけに反して柔和で軟弱だし、桜の細い枝は、一思いに剪(き)れない強さと、それが剪(き)れたときに鳴らす音が小気味よくも潔い。
そんななか、一等、始末に負えないのが、薔薇です。
剪(き)った枝は、それを拾うこちらの指を容赦なく傷つけ、無理にたわめた枝は、ポリ袋をも引き破るといった利かぬ気。
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紫陽花の枯れた花は、その枝を剪(き)ってポリ袋へいれようとするこちらの気を咎めさせるほどに、枯れてもなお、その艶を失わないところが、かえって憎い。
そんな植物たちの気質を、首に巻いたタオルで、かいた汗を拭いながら、ふと、感じた昼下がり。
それでも、彼らは、こちらをお構いなしに、その生の強さを見せつけるばかり、、、負けちゃいられません!!
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*画像、上、ぐるぐる回ってます、中、我が家の神木、下、にわかガーデナー。
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by viola-mania | 2009-07-26 00:14 | 雑感

視線。

「目を見て話しなさい」
とはじめて勤めた会社の社長にいわれたとき、ひとの“目を見て話”すことの苦役を感じました。
だから、コンタクト・レンズをはずし、ひとの“目を見て話”してみたら、これまで畏(こわ)かった視線がぼやけて、楽に話せるようになりました。
とはいえ、日常生活に来たしたリスクはおおきかった。
二十代前半に患っていた? 視線恐怖症を克服したのは、三十代にはいる前のことでしたが、必要に迫られた荒療治は、ひとの視線のなかにそのこころをも読み取ってしまうといった、副作用をもたらしたのでした。


 失せし眼にひらく夜明の夢を刷き千草の文(あや)を雨あしの往く   海人


いまになって思えば、ひとの“目を見て話”すという行為は、こちらとあちらの信頼のうちに成り立つものであり、そのこころに、畏怖や猜疑や嫌悪や虚偽のいずれかが含まれていれば、やはり、ひとの“目を見て話”すことは、困難です。
とはいえ、ひとの“目を見て話”すという行為が、あちらに対する敬意を失しているという礼儀も、知らないこちらではありません。
だから、知らないあちらに対しては、一瞥をくれたあと、その視線をはずして話すようにしています。
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*画像、夜明の夢を刷き。
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by viola-mania | 2009-07-19 01:12 | 雑感

樒雨。

最近、懇意になった青年と動物園へ行きました。
小さな山の頂(いただ)きにあるこの古い動物園へ辿り着くには、その途中にある公園を迂回して行かなければなりません。
そんなわけで、急な勾配に息を切らしたこちらが、目の前にあるベンチへ腰掛けると、
「少し話そうか」
とさりげなく、その青年にも腰掛けるよう促してみます。
さて、寡黙な青年に二三の質問を投げ掛けると、その応えを聞くなり途切れた会話。
とはいえ、気まずい空気は、互いの上に感じられません。
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暮れ方の公園にどよもす喚声。
近くに学校があるようです。
その声の方へ青年が歩き出したので、これに従い、学校のグラウンドを走る少年たちを見下ろしていたら、
ポツ、、、ポツ、、、
と何かが落ちる音がしました。
降り出した雨のように落ちてきたのは、樒(しきみ)の花で、その巨木の下で、青年とふたり、しばし、追想のときを過ごしていたようです。
「中学生のとき、同級生に告白されてから、そいつとは、高校生になるまでつき合ってたんだけど、あとは、それっきり、、、そっちは?」
と青年がいえば、
「動物園、閉まっちゃったかもね」
と何の脈絡もなくこれに応えてみます。
だって、好きだった同級生が、死んでしまったとは、いくらなんでも、こんなベタなシチュエーションじゃ、いえないよね。
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ところで、青年のどこか抹香臭い風貌から、この“樒(しきみ)の花”の特性を思い出したのは確か。
案の定、閉まっていた動物園を尻目に、横浜の町が一望出来る場所へ青年を案内すると、暮れ方の景色を見下ろしながら、亡くなった同級生のことを考え、ついで、青年の口から彼の両親が亡くなったと聞かされたとき、
ポツ、、、ポツ、、、
と降り出した雨が、頬を濡らすのを感じました。
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*画像、上、或日の動物園、中、樒の花、下、或日の眺め。
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by viola-mania | 2009-07-12 14:45 | 少年

草踏。

冬なら湯呑みにいれた茶の立てる湯気の音、夏ならグラスに山と盛った氷が、その茶に解けて傾(かし)ぐ音。
日曜から月曜へと曜日が変わる刻限は、また、その一週間の終わりと始まりの境界であり、いわば、死が生へと息をふき返す刻限でもあるのでしょう。
なるほど、そんな微かな音が、吐息と聞こえてくるのも無理はありません。
“微かな音”といえば、この刻限に始まるアニメ『蟲師』を、そのブラウン管に映し出しているテレビの下から、聞こえてくるそれも、どこか、“吐息”のように聞こえないことはなく、、、
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とはいえ、これも、夜の静寂(しじま)が与える迷妄であり、この古い家屋に特有の家鳴りというものなのでしょう。
死んだ家屋なら、音を立てることもありませんから。
そういう類いの音。
ところで、三年前の秋から翌年の春まで、地上波にて放映された『蟲師』を、ようやくいまになって衛星波でみていたのもつかの間、その二十六話「草を踏む音」をもって、きのう(きょう)最終回となりました。
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折しも季節は梅雨。
その雨が山中に霧をもたらすなか、山越えをする複数の人影が、この山の持ち主である家の嫡子、沢(たく)には気がかりでした。
でも、その霧の向こうからこちらを見ている、沢(たく)と同じ少年の影のほうに、より興味を示していたこともいなめません。
少年の名は、イサザといいました。
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ところで、この山にある滝の水は神聖とされています。
だから、滝の水を、イサザを含めた余所ものに手出しされることを懸念していた沢(たく)は、でも、そのことを話した父親に、彼らのことを「渡り鳥と同じと思えばいい」といわれ、その気がかりも緩和してゆくのでした。
そんな折り、滝壷で釣りをしていた沢(たく)の前にイサザがあらわれ、「ここのヌシの子供」であるという沢(たく)に、イサザは、ワタリであるとの素姓を明かすと、この滝壷から採った魚を水のなかに戻すのでした。
「ヌシの子供のくせに、釣りが下手なんて」との皮肉をいいおいて、、、
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「嘘つきめ」
と草を結んでつくったイサザの罠(わな)とことばに躓(つまず)く沢(たく)。
イサザは、ほんとうの“ヌシ”がこの滝壷に棲(す)む、背に草の生えたおおきなナマズであるということを知り、たんに地主の子供であるとの沢(たく)のそれは、だから、ふたりの少年の認識に相違を与えたのです。
イサザの認識する“ヌシ”が、光脈筋のものであると知った沢(たく)は、イサザたちと同じように、この山が、常人には見えない色に染まることを知っていました。
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「こんどはそっちのこと、教えろよな」
とのイサザのそれに、
「髪が白くて目が緑で隻眼」
の少年を見たという、イサザの聞きたがっていた「普通の話」で応える沢(たく)。
つまり、その少年こそが、幼き頃のギンコというわけです。
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男(=沢<たく>)の回想録で始まる最終話は、だから、それに相応しい物語を期待していたこちらに、肩透かしを喰らわせた感がいなめません。
とはいえ、少年ギンコの立ち位置は、物語の終盤になってようやく登場した、現ギンコのそれと相俟って、この『蟲師』という物語が、何かと何かを繋ぐ線、いわば、その絆(きずな)の上に描かれていたことの証左であり、この最終話の結末になってそれと“気づかされる”ことでもあるのです。
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「イサザのことは覚えているか?」
と訊ねる沢(たく)。
「あいつなら、いまも馴染みだぜ。ここのことも、あいつに聞いてきたんだよ、そろそろ薬の必要な時期だろう、ってな」
と応えるギンコは、光脈の移動により衰退した山の惨状から、ひとに危害を及ぼす「蟲」だけがこの土地に残っているということを、イサザから聞いていました。
とはいえ、沢(たく)のことまでは、覚えていません。
そんなギンコに、
「これでいい」
と穏やかに微笑む沢(たく)。
まったくそのとおりでしょう。
なぜなら、友情とは、こころを使ってことばを用いまいとすることだし、相手がいかなる点で自分を選び、自分を好んでくれたかが、その両者のどちらにもけしてわからないことなのですから。
つまり、感情そのものよりも、つねに控え目にとどまっていることこそが、ともだち同士の愛情における、崇高な優雅さの一つなのです。
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「あいつも山も、ずいぶん様変わりしたもんだな。なぁ、元ヌシ殿よ」
とかつての滝壷に、“おおきなナマズ”を見て、独りごつギンコ。
グラスのなかの氷もすっかり解け、音を立てる何ものもなくなった夜半過ぎ、このアニメ『蟲師』を、そのブラウン管に映し出しているテレビの下から、聞こえてくるそれは、或いは、「蟲」の“吐息”なのかもしれません。
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*画像、「草を踏む音」&おまけ。
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by viola-mania | 2009-07-12 14:24 | 雑感

禁欲。

あすは、持ち帰り仕事の納品。
それにしても、月曜の夕刻から始めたその作業が、これほどまでに自らの生活をストイックなものにしようとは、、、
ある意味、それは、個人誌『薔薇窗』入稿前準備に、比肩するほど。
そんなわけで、これも個人誌『薔薇窗』の版下原稿を封にいれ、その発送を待つように、このたびの物件のそれを小包にしたものを沓脱ぎに立て掛けると、いまごろになって晴れてきたおもてへ出ました。
例年どおりひらいた、インド浜木綿の艶姿を、ケータイ・カメラでパチリ。
このところ、寝しなに読んでいる、ユッキーこと三島由紀夫の『禁色 第二部 秘楽』より、


 美といふものは本来最も独創から遠いものである……


といった一文が引きたくなりました。
なるほど、この植物は、きわめて自然に、その青春の一時期を謳歌しているかのように見えます。
とはいえ、そんな観念的な思索を凌駕できるのは、習慣といった怪物をおいて、ほかにないのです。
と、このストイックな四日間を振り返って、ふと、そんなことを考えました。
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さて、その二日目。
持ち帰り仕事だとて、その始業・終業時間は決まっています。
そんなわけで、いつもなら6時45分にとっている朝食を、9時45分に終えると、10時より作業開始。
正午に一時間の昼食、三時に30分の休憩をとると、六時までラストスパート。
きょうのノルマを終え、胸・脚、両用のクッションを脚からはずすと、頭にあてがい、しばし、夕寝。
夕食までのわずかな時間、疲弊した脳を休めるとしましょう。
あしたは、この物件の難所を越えなければなりません。
それにしても、夕風が心地よい。。。


 夕づつもあはあはひかりそめにけりあしたは越ゆべき峠のほとり   賢治
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さて、その三日目。
この物件の難所にはいるや、にわかに停滞したペースに、その雲行きも怪しくなりました。
「終わるんだろうか!?」
と、、、
いつしか聞こえなくなった雨音に、窓の向こうを仰いでみると、萌黄に染まった森が、その陽に明るい。
名前も知らない鳥のさえずりに、紛れて聞こえるケータイの着信音。
出てみると、この物件の担当くんでした。
「かくかくしかじか、もう一日オッケーです!!」
晴天の霹靂、否、霹靂の晴天とはこのこと!?
自由になったこころのままに畳みの上へ寝転び、『泣菫随筆』の続きを読んでいるうち、睡魔に襲われうたた寝。
窓の向こうを仰いでみると、鉄色に染まった森が、落ちた陽に暗い。


 雨やめどかへつて空は重りして青木も陰の見え初めにけり   賢治
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*画像、上、インド浜木綿の艶姿、中、もぞもぞ、下、鉄色に染まった森。
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by viola-mania | 2009-07-05 19:09 | 雑感