<   2008年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧

行方。

ご家族のつき添いで病院へ行った年少のともだちが、そこの看護士にコドモ扱いされたという話を訊き、
「だって、きみ、コドモじゃん!!」
とにべもなくいい放ったことが、帰りの電車で席を譲った母子を前に、ふと、思い出されました。
満員電車のなか、傍若無人に振る舞うコドモは、ある意味、暴君であり、そのコドモの行動に、オトナことばで応対する母親とのコミュニケーションは、でも、不思議とコドモのこころを掴んでいるようでした。
とはいえ、コドモがわかるのは、母親の話すオトナことばではなく、コドモに対する母親のこころなのです。
なぜなら、「童心」は愛と一体のものであって、愛なくして「童心」はありえないわけだし、母親の顔がコドモの手によって、どんなに酷くゆがめられようとも、その愛によって自己をなくした母親が、それをとがめることなどありえないからです。
ところで、我が家のラグの上に落ちていた糸屑を仔細らしくつまみあげ、それが自らの関心の埒外のものであったと知るや、ふたたび、ラグの上に放ったともだちの行動は、でも、それを眺めるオイラの目には児戯としか映らなかったけれど(ふつう、ごみと看做して始末するよな!!)、ともだちにしてみれば、自らの法則にかなった生活行動なのです。
そんなわけで、彼ら、コドモたちが、どのような生活行動を選ぶにしても、そのことを欲するときに欲することができれば、それでいいのでしょう。
だから、やめたいと思ったときには、いつでもその行動の枠から「もうやーめたっ」といって立ち去れる自由が、彼らには補償されているのです。
そして、コドモたちは、いかに面白い遊びを得ようかと、ミツバチのように花から花へと漂泊し執着することがありません。


 わが肌は汗のみ着つつうすびかれ愛すべし天衣無縫の行き方   剛
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by viola-mania | 2008-11-30 07:05 | 少年

童心。

リン、リン、リン、、、
と鳴る黒電話の音に、はた、と起きると、電話に出てから切るまでの時間が、現実の名のもとに有限であるにもかかわらず、無限のように感じられたのは、その時間が非現実な空間を得ていたからにほかなりません。
或いは、その非現実な空間へと繋がる「扉」を潜った我々は、「永遠」という名の時間軸の上を逍遥(しょうよう)していたのでしょう。
だから、
「ちょっと、トイレ、、、」
といって、現実の時間へ戻り、ふたたび、非現実な空間へと繋がる「扉」を潜ろうとしたところで、それを果たせなかったのは、一にして、全なるものが「時」の習性(ならい)であるからなのです。
それにしても、部屋住みの年少のともだちのおうちへ電話をかけ直し、彼のお母さまが出られたときほど、この有限の現実を思い知らされたことはなかったね。
だって、時計を見たら、深夜の2時。
我ながら、オトナげないことをしてしまった、、、とこれを反省。
それにしても、有限の現実から、無限の「扉」を潜ったとき、自己矛盾としてまとわりついていた、拘泥や執着から解き放たれたのには驚きました。
「永遠」という名の時間軸の上にあったのは、有限の現実に住む我々が、希求してやまない、コドモの世界だったのです。


 おお永遠の光よ
 おのれの中にのみましまし
 おのれのみ おのれを知り
 そして おのれに知られ
 おのれを知りながら愛し
 また ほほえみ給う者よ

                        ダンテ『神曲』より


童心とは、この神の愛のなかにあるものであり、愛のなかにあることを疑わないこころなのです。
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*画像、甲 秀樹・竹邑 類「甲類展 -少年趣味・少女趣味」(11月28日〜12月7日 ポスターハリスギャラリー)DMより。
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by viola-mania | 2008-11-23 00:55 | 少年

海豚。

伊豆半島の最南端にある大根島展望台からヒリゾ海岸を臨もうと、その小さなパーキング・エリアに愛車を止め、このどこかイルカを思わす流線形のボディをあらためて眺めたとき、その前日、下田海中水族館で観た「イルカショー」に少なからず感化されている、我が視官を嬉しく思いました。
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「エンジンのおおきさによって、そのクルマの持つ特性を最大限に活用出来ることと、イルカの脳化指数って、なんだか似てるよね」
と倒した助手席のシートの上で、目を閉じている父に、訊くとはなしに訊いてみると、
「脳化指数って、なんだ!?」
との返答。
「ああ、体重に占める脳の割合のことなんだけど、きのう観たイルカはね、ヒトについで脳化指数が高いことが知られてるんだよ」
それに対する父の返答が、静かな寝息となって聞こえてきたとき、ここから臨む草の海が、その寝息によって凪(な)いだ気がして、おもてへ出たくなりました。
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「イルカがヒトに匹敵する知性を持てば、、、」
などと、草の海が南風にさざめく展望台までの階段を昇りつつ、その意識は、ヒトの知性とイルカの能力の響応を思い返していました。
「まるで、<イルカに乗った少年>ね!!」
とそのショーを観る客のひとりがいったとき、ウエット・スーツを着た少年とイルカとの信頼関係に、胸が熱くなりました。
ヒトはイルカの能力にたのみ、イルカはヒトの知性にまつ、、、
といったこの“響応”は、ショーの行われている海上でスパークし、その深い草色をした火花、否、水しぶきが、少年とイルカの上できらめくごとに起こる歓声をもって、その成果を証明しています。
「もしも、乗る背中がなかったら、、、」
そんな不安が、展望台からの階段を下りつつ、一瞬、こころに兆したけれど、イルカを思わす流線形のボディを持った愛車は、小さなパーキング・エリアで、両親を載せたまま、そこで“まつ”ていてくれました。
とさ。。。
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*画像、旅のアルバム。
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by viola-mania | 2008-11-16 02:20 | 雑感

彼地。

 そこでは、あらゆることが可能である。人は一瞬にして、氷雪の上に飛躍し、大循環
 の風を従えて、北に旅する事もあれば、赤い花林の下を行く蟻と語ることも出来る。
 罪やかなしみでさえ、そこでは聖く、きれいに輝いている。
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と、ともだちに、宮沢賢治の文章を電話口で朗読したあと、
「<罪やかなしみでさえ、そこでは聖く、きれいに輝いている>、そんな場所が、この世に存在することを赦していた、賢治のおおきさに比べたら、僕の胸にひっかかっていることなんて、とてもちっぽけなことだと思う」
とその“胸にひっかかっていること”の詳細を吐露してみた。
「たとえば、愛するひとのために死ねる感情って、自分の命をそのひとに托すことだと思うんだよね」
というともだちの死生観に、
「うん、ふたりでひとりなわけだしね」
と何の疑いもなく応えた自分に、ふと、“罪やかなしみ”が“きれいに輝”く場所のあることが、救いのように思われました。
「死」を迎える状況は、さまざまにあるわけだけど、でも、それ自体は人間中心の生命観であって、「命」そのものの理解ではないよね。
だから、ともだちに、“罪やかなしみ”が“きれいに輝”く場所で結ばれた友情譚について触れてみた。
「でも、この場所は、きみ以外の誰にも教えてないし、教えたくないんだよね。だって、きみは大切なともだちだから」
と、その場所の在処をそっと教えた。。。
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by viola-mania | 2008-11-09 07:36 | 雑感

馬肥。

天高く馬肥ゆる秋ですね。。。
そんなわけで、きょうは、駅までの山道を40分かけて歩いてみることに、、、
とはいえ、昼飯前。
“馬肥ゆる”どころか、消耗しそうな勢いですが、その道すがら里山の植物たちを、ケータイ・カメラに収めつつ歩いていたら、深まりゆく秋の季に、こころだけは、満腹といったところ。
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そんなわけで、いつものストアへ行く前に、贔屓の古書肆へ立ち寄ってみることに、、、
半月ぶりの店内のワゴンには、これといった出物もなく、それでも、その装釘のみに惹かれた『江戸次第』(昭和6年刊)というすべて漢文による、ちんぷん漢文? な書物を300円で拾い、狭い店内の棚を一巡。
さて、お会計といったところで、ちょっとした珍書? を発見。
んでもって、それら二冊の書物を番台へ持っていったところで、きょうも見えないご主人の代わりに店番をされていた奥さんと、これも前回に引き続き地元談義に花を咲かせてしまいました。
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かれこれ小一時間ばかりを古書肆で費やし、いよいよ、減ってきた腹を擦りながらストアへ、、、
新米の出荷に気推された? かたちとなったオコメを、いつもの価格より500円安く買うことができ、ふと、小市民的な喜びが込み上げるも、これを土鍋で炊けば、そのおいしさは、新米に劣るものではない!! と、負け惜しんでみたりなんだり。
それにしても、ごはんがおいしい季節ですね。。。
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*画像、里山の秋を歩く。
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by viola-mania | 2008-11-02 00:26 | 雑感