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小誌。

大正末期から昭和初期の一時期、いわゆる、1920年代は、同人雑誌の最盛期でもありました。
そのうち、短命だけれど、質の高い作品を提示した雑誌を、近年、「リトルマガジン」と称し、その内容もさることながら、書物としての稀少性に目を向ける、好事家も少なくないと聞きます。
ところで、文芸誌『アピエ』の発刊をみたとき、この「リトルマガジン」という呼称が、口の端にかかり、ついで、その裏表紙に刷られた、ISBNコードに、
「うーむ」
と思わずうなってしまいました。
さて、耽美文藝誌『薔薇窗』に、いま考えているのは、この「ISBNコード」です。
これを、裏表紙に刷り、流通に乗せる。
どうでしょう!?
そうなってくると、本誌の形態も考えなければならなくなるでしょう。
とはいえ、「リトルマガジン」との自負も捨て難く、、、

*画像、文芸誌「アピエ」最新号。
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by viola-mania | 2008-06-29 15:52 | 文学

腹割。

きのうは、年長者Sさんの現場にお呼ばれ。
案の定、憔悴した、、、
そんなわけで、作業を終えると、一路、繁華街へ、、、
カラダの欲するままに、ビフテキを食べに行きました。
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いつか、近くの浜でつくった、ペットボトルのダンベルの砂を、最近、そのカタチが気になって飲んだ、「ダカラ(プロテインウォーター)」の容器に移し変えると、よりそれっぽくなった♪
さて、こんな雨の日は、そのなんちゃってダンベルで、エクササイズ。
瞬間芸ではないカラダづくりに勤しみたい。。。
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*画像、上、なんちゃってダンベル、下、はい、瞬間芸!!
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by viola-mania | 2008-06-22 10:11 | 運動

驚愕。

30年を一つの周期として、その時代はやってきます。
たとえば、アール・デコに代表される1920年代の美の様式は、幾何学模様と流線型のなかに集約されているし、たとえば、MGMミュージカルに代表される1950年代の美の様式は、シネ・ミュージカルの豪奢なセットとジーン・ケリーの華麗なダンスのなかに集約されています。
そして、セルジュ・ルタンスに代表される1980年代の美の様式は、資生堂の花椿とアウトオブ資生堂のインウイといった二つのブランドのなかに集約され、まもなく迎える2010年代の「美の様式」に、その期待が高まるばかりです。
とはいえ、その時代に感じる「美の様式」は、あくまで独断であり、偏見です。
ところで、こんな“独断”と“偏見”を自らに許している美意識の基礎は、その少年期を過ごした、1981年から1985年の時代の風潮、つまり、モードのなかに築かれているといってもいい過ぎではありません。


 「風は光になりました。香りは粉になりました、インウイ」
 「嘘を言ってはいけませんわたくしの目を見て、インウイ」
 「女性の美しさは都市の一部です、インウイ」
 「彼女には影の演出者がついています、インウイ」
 「カガミの隅まで染めてしまいそう、インウイ」
 「なにかに向かって燃えていますか、インウイ」
 「人生は選択、インウイ」


1981年から1985年、セルジュ・ルタンスプロデュースによる『インウイ』(オードパルファム)のキャッチコピーは、 その商品のコンセプトによるものか、女性が女性であることを謳歌しているといった、その時代の風潮を反映させるもの。
でも、ブラウン管の向こうにある世界が、ひとりの少年に気づかせたものは、「耽美」ということばであり、自らをかたちづくる「美の様式」でした。

*インウイ:驚愕
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by viola-mania | 2008-06-22 08:47 | 雑感

花屠。

曇天の下(もと)、門前の草取りを終えると、冷たいドリンクが欲しくなり、近所の商店へ買いに行きました。
自販機にコインをいれ、出てきた冷たいドリンクを掌(て)のなかに握ると、来た道を引き返す、、、不穏な気配。
小さなワゴンに記された、「葬儀」の文字。
そういえば、おおきな白木蓮のある家の主(あるじ)は、いつ逝って可笑しくない年格好。
礼服に身を包んだ従業員の楚々とした佇まいに、死とは、存外、そんな手続きのうちに片づいてしまうものなのでしょう、、、
と際限なく広がる白い空を見上げました。
さて、買ってきた冷たいドリンクを一足に飲み干すと、蛇腹本用の作品の推敲にかかりました。
作品は、書かれた側から、即読者、批評家といった視座を辿るけれど、「耽美、たんび」と思ったほどに、くどくありません。
これは、良いことなのか、悪いことなのか、、、
自分以外の読者の反応を待つとしましょう。

*画像、玄関先の支那薔薇を剪定している図。
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by viola-mania | 2008-06-15 16:49 | 雑感

衣替。

パジャマのズボン下を、ショートパンツにかえた昨晩。
タンクトップの肩に、にじむ汗がいとわしく、けさのストレッチは、上半身もあらわに、壮快な汗をかいてみました。


 肉体は受信機であり送信機でもありますからね。うまくいつも自分で自分の肉体のバランスとって
 いないと、精神の問題を精神だけで片づけようとするようになりますし、すると、どうしても観念
 的になります。


と作家、丸山健二が、何かのインタビューに応えていて、さもありなんと思いました。
ストレッチを始めて、一年半、少しずつ、大胸筋がふくらんできた。。。
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*画像、ちょっとHですが、何か? 腹筋も割れてるぞお。
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by viola-mania | 2008-06-15 10:37 | 運動

横顔。

いつか誰かに、シブサワ(澁澤龍彦)ってどんなひと? と聞かれ、
「懐の広いひと」
と雑駁に応えたことがあったけれど、その際、つけ加えたかったことの一つに、
「シブサワの作品を愛好しないひとは、かつて美少年であったことのないひとだろうね」
との偏向がありました。
さて、きょうは、朝も早よから、“カナキン”へ“シブサワ”を観に行きました。
とくに最寄り駅ではない、「石川町」で降りると、これも、何ちゃら銀座の感がいなめない、元町の繁華街を抜け、「フランス山」を登り、「港の見える丘公園」に到着するや、
「ボー!!」
と汽笛が正午を報せました。
なるほど、“港が見える丘”だけのことはあります。
ところで、“カナキン”こと神奈川近代文学館を訪ねたのは、三年前に同館で催された、「三島由紀夫展」以来のことでしたが、あの日も、イギリス館の庭には薔薇がひらき、薫風が催しへの好奇を煽ったものでした。
さて、Tシャツの、ない襟を正すと、館内へ、、、
「一般、600円。学生のかたは、300円です」
ともぎりから少し離れた位置で、そういわれたとき、
「学生にも見えるのかなあ」
と襟を正すどころか、ラフ過ぎる格好に、さもありなんと合点がゆくのでした。
それから、ニ時間半。
本展の編集委員、高橋睦郎さんのことばどおり、
「すっかり、もてなしを受けてしまった」
つまり、もてなしの極意? とは、高橋さんいわく、時間を忘れさせることであり、そのサロンの主(あるじ)、シブサワのイノセントな魂に感応するひとときでもあるのでしょう。
だから、あらためて、シブサワってどんなひと? と聞かれれば、
「もてなしのひと」
と実感を込めて応えることができます。
そして、帰りのバスで乗合いになった美少年こそが、自らの思念(パンセ)の具現であることを、折りに触れて見かけるその美少年の横顔に確信しました。
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by viola-mania | 2008-06-08 06:50 | 雑感

気化。

「マイネーム イズ カツミ、、、」
男の子なのに、どうして、女の子の名前なんだろう?
そんな疑問を、小学生の頃に通っていた英語塾(といって、近所の大学生のお姉さんが、自宅でひらいていた私塾)で感じました。
先生の従兄弟である少年の名を耳にしたとき、そのハンサムな容姿に似つかわしくない、「カツミ」という音に違和感を覚えたものです。
そういえば、克実さんからもらった名刺に覚えた違和感も、これと同質のもの。
奇しくも、克実さんの容姿と、彼がまとっているコロンの香に感じた懐かしさは、小学六年生の少年が、中学三年生の少年に、はじめて恋した記憶に繋がるものでした。
どうりで、人見知りのこちらが、気安く話し掛けられると思ったら、そんな過去のいきさつがあったというわけです。
「カッちゃん」
と呼ばれていた少年を、
「カツミくん」
とただひとり、恭しく呼んでいました。


 気化せざる記憶一滴輝きて濃硫酸を頒けあひし午後   章人
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by viola-mania | 2008-06-01 00:00 | 少年