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視点。

 海や空や森を見るということから癒えた   ジュール・シュペルヴィエル


この詩句に触れたとき、見るという病から癒えねばならないと思いました。
というのも、ここには生存しないものの眼で、こころを持ったものの生と、それに関わる、こころを持たないものの生とを見ていたことに気づいたからです。
見えるということもまた、受難の一つといえるでしょう。


 小説は、兄に殺された弟が鷹に転生してふたたび殺される、というものでしょうか。
 読みながら、兄は禽のこころを解さず、転生した弟は禽でありながら、兄のこころを
 解す、そんな話かと思いました。
 ひとは犬のこころを知りませんが、犬はひとのこころを知っているような気がすると
 きがありますね。
 そんなものを思い浮かべました。
 ですが「禽族である私に、ひとのことばなど解せるはずもありません」
 とありますから、この二人は、お互いに理解しあうことがないというのがわかりま
 す。
 しかし死んでもふたたびめぐりあい、そしてまた殺されます。
 そういう畏るべき運命にあるのでしょう。
 これは鷹による他界からの報告なのでは……
 ダジャレで申し訳ないです。
 でも真剣です。


という評を、拙作「弟切草(おとぎりそう)」(『プラトニカ 第一輯』収録)に賜ったとき、ニーチェのいわゆる「病者の光学」という視点があるのを思い出しました。
つまり、ネガティブな見地から健全な価値を見ると同時に、そのことによって獲得されたポジティブな見地から、ものの病的な様相を眺めたとき、はじめてそのものの光と闇とが、二重の視点のうちに掌握できるというもの。
とはいえ、この“視点”を、拙作に対する評から直接感じたわけではなく、それを読む評者の客観の視点が、書き手の主観を、なかば、客観の視点に変え、評者と同じ眼で自らの作品を読んだとき、もっとも切実な読者であるはずの書き手と評者との転化を、そこに見たということです。


 この作品を再読してみたところ、それが書くきっかけとなった、鷹飼いのドキュメン
 タリーを思い出し、そのなかでも、やはり、「自然界にあるものとこころを通わせる
 ことは不可能」なのでした。
 「不可能」には、ひとの愚かさという意味が含まれていて、兄に殺された弟の転生で
 ある鷹の嘲笑は、でも、それを庇おうとして殺された兄のこころを解したとき、改心
 するのです。
 兄に殺された弟の魂が復活するには、鷹に転生した弟の二度目の死(「冷たくなった兄
 の背で、私のからだから流れ出した血は、下草を昏く穢していました。」)、すなわち
 「贖罪」が必要なのです。


という評が、書き手の“視点”からあらためて生まれました。
創作は、読者をまってはじめて完結する行為なのです。
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by viola-mania | 2008-05-25 08:39 | 文学

簡素。

 聖書と青いカーディガン

愛用のMARUZENのノートが、店で品切れだったら、入荷日まで待つ。
そんなことに集約された生活は、窮屈だけど面白い。
たとえば、好んで着ている白色のシャツには、いまの季節であれば、青いカーディガンをはおらなければしっくりこないし、文机の座右には、新、旧二冊の聖書が置かれてなければ落ち着かない。

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 乳白色の灯り

時代でいえば、昭和の初期。
この乳白色の灯りの廻りに、おおきな蛾が呼ばれていれば、なおよい。
とはいえ、いまは、昭和の初期でもなければ、そんな、おおきな蛾も呼ばれてきそうにないので、この灯りの上部についたスイッチを、ぱちんと捻って、夢見るだけにとどめる。

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 ひとり掛けのソファと低い生活

低い生活といえば、小津安二郎である。
とはいえ、『小早川家の人々』にも『秋刀魚の味』にも、その家族が集まる低い団欒に、ひとり掛けのソファは出てこない。
でも、主演の原節子が、畳の上のひとり掛けのソファやクッションに、座っていたり、寝転んでいたり想像するのは、難しいことではない。

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そんな、簡素なくらしを、いつも念頭において暮らしてゆきたい。
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by viola-mania | 2008-05-18 00:06 | 雑感

免罪。

「鳴ってますよチャイム」
「でるな」
男は、怖れていました。
「払えよNHKくらい」
それが、受信料の徴収であっても。
「滞納してんだよ」
とはいえこれは、男の、少年に対する免罪符であったのかもしれません。
少年は、男が警察に連行されたのちの13年間を、ただ、男のことだけを考えて過ごしてきました。
男も、それと同じ歳月を、ぼんやりとした印象のなかに生きてきました。
そして、男は、罪のつぐないとして、自らの意思を少年、否、青年にすべてゆだねようと考えたのです。
だから、「でるな」と男が、青年に転じた少年にいったのは、でも、それが男にとって、唯一、青年に対する抗弁でもあったのです。
13年前のあの日、扉の前には、逮捕状を持った警察が立っていました。

*****

二つ折りにしたコピー用紙を、ホチキスで止めただけの簡素な一冊が、強くこころをひいた。
『ラブストーリー』と題された、そのコミックを親友、Mと廻し読みしながらあれこれ討論。
「おとなの話だね」
とMがいえば、
「そういう人柄なんでしょ」
とオイラが応酬。
「いくら絵が上手くても、その向こうにそのひとが見えてこなければ、いい絵とはいえないんだよね」
とMがしみじみ。
「なるほど、お金を出して買っただけのことはあった」
と秀作に出逢えたことをほくそ笑むオイラ。

*画像、「ラブストーリー」カバー。
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by viola-mania | 2008-05-11 01:49 | 少年

諧和。

束ねた新聞紙を物置きに片付けると、雨上がりの地面に青い翅(はね)が落ちていました。
拾い上げて子細に眺めると、すでに、からだは廃墟と化し、二三匹のアリが、青い翅を摘んだ指先に立ち惑っています。
青い翅の持ち主は、ギボウシの葉がひらき始めるころになると、飛来するアゲハチョウで、「ミカド」という大層な名をその種目に冠した高雅な一羽。
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逡巡ののち、手にした花鋏(はなばさみ)で、廃墟の両翼を切断すると、手のひらには、青い翅だけが、空気の重さで残されました。
見上げた軒先には、ジャスミンがわらわらと繁り、その向こうに覗く青空が、どこか精彩を欠いて見えるのは、この手のひらにたたずむ青い翅のせいかしら。
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書斎に戻ると、水盤にぎっしりひらいたツツジの花が、死んだような精気に漲っていました。
五月のゆうまぐれ、そんな、静物たちの諧和を聞いた気がして、、、
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*画像、上、ミカドアゲハの翅、央、ジャスミン、下、ツツジ。
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by viola-mania | 2008-05-04 00:00 | 雑感