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告知。

自主制作漫画誌展示即売会 COMITIA84

日程:2008年 5月 5日(月・祝 ) 11:00〜15:30
場所:有明・東京ビッグサイト東4・5ホール
   (JR「大崎」orJR・地下鉄「新木場」〜りんかい線「国際展示場」下車8分)
   (JR「新橋」〜“ゆりかもめ”で約25分「国際展示場正門」下車2分)

スペースNo.ひ03a 書肆菫礼荘

↑こちらに出展しています。ぜひ、遊びに来てください。
また、当日は、「プラトニカ 第一輯」(新刊)、耽美文藝誌「薔薇窗」17号(最新号)、
蛇腹本各種を販売いたします。
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by viola-mania | 2008-04-27 08:15 | 告知

宇宙。

たびたびつかう、「夜空に掛かる星」ということばは、まことにパースペクティブな比喩であり、そのことにあらためて気づいたのは、アーサー・レーブという視覚芸術の研究者が、子供の頃に夜空を見ていった、
「穴だらけだ」
という発言に触れたことによります。
子供は、夜空の光と闇のコントラストに、単純に反応しただけなのでしょうが、じつは、この「単純」ということばに、宇宙の秘密が隠されているのです。
ところで、画像の図版は、アイザック・ニュートンの方程式から導き出された、「秩序」と「カオス」の関係を示したものですが、この図版に見る、二本棒の振り子が、そのことを物理的にあらわしています。
というのも、上方の端が固定された一本目の棒からなる振り子は、単純に前後に揺れるだけなのに対し、下方の端が揺れる二本目の棒からなる振り子は、その運動が複雑になるため予測がつかなくなるというもの。
つまり、ニュートンの方程式には、正確に予測できるものと、不規則なものとが含まれていて、この方程式に見る二重性は、一見秩序だった予測可能な動きが、不規則で予測できない動きへと、簡単に移行する物理的なふるまいを反映しているかのようにも思え、いつか、
「秩序とカオスは、決定論の基礎にある二つのもののあらわれであり、そのどちらも一つだけでは存在しえない」
と何かの書物で読んだ一文に、なるほど、そんな関係があったのか!! といまさらながら納得しました。
とはいえ、太陽系が古来より変らぬ配置で過ごしてきたことは確かであり、その惑星の分布や配列も、ほぼ一定であるということを、我々は、知識として把握しています。
そんな「秩序」ある太陽系にあって、あれこれ「カオス」を巡らす我々は、ニュートンの方程式を引き合いに出すまでもなく、この「単純」な宇宙の営みのなかで暮らしています。
これは、リンゴが地面に落ちるほどの驚きであーる。。。
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by viola-mania | 2008-04-20 00:08 | 天体

図鑑。

一見、「盗撮」と見えるこの画像、確かに「盗撮」には違いないのでしょうが、たとえば、この画像を「図解」と見ると、その目的が、無防備な少年にではなく、少年の足許に放り置かれたカサと、その隣りに立て置かれたカサとの対比を、意図するものであると理解することもできるでしょう。
ところで、最近、読んだ書物のなかに、「図鑑」のいわれが記されていて、そもそも、そのことばは、「植物」にかかるそれが語源となっているらしく、その「図鑑」ということばが、現在では普通名詞化するほどに一般化し、一つのジャンルを形成するまでになったのだとか、、、
そんなわけで、この画像を解説すると、まばらに空いた電車のシートに腰掛けるでもない少年が、その居場所として選んだのが、扉前というわけです。
その隣には、スーツ姿の社会人。
少年の足許に放り置かれたカサと、その隣りに立て置かれたカサとの対比が面白く、思わずパチリ。
それにしても、座るためのシートに腰掛けず、地べたにしゃがんでしまう少年は、きっと、分類学的にいえば、猫科に属するものと思われ、、、
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by viola-mania | 2008-04-13 09:33 | 少年

邂逅。

「まだ書いているんですか?」
「うん、僕もちょうど、それを聞こうと思ってたところ」
とは、ほんじつ、某所の仕事場で、7年ぶりになる邂逅を果たした、カメアタマくんとのひとコマ。
あ、べつに“カメアタマ”といって、たんに、カレの苗字が、その呼び名を誘発するだけのことで、特に含みはないのであしからず、、、
で、オイラより一つ年少になる、カメアタマくんとは、7年前に某社の食堂で、夕食を一緒に摂ったとき、
「じつは、小説を書いていて、本人も彼女も絶賛しているんですけれど、KO時代、文芸部の先輩からこてんこてんにやられたことがトラウマになって、その後、自分が小説を書いているということは、誰にもいえなかったんですけど、何となく、イシカワさんにならいってもいいかなって思って、、、」
といった、カメアタマくんの思いも寄らない吐露に、その交流は端を発しているというわけです。
ちなみに、“KO時代”というのは、カメアタマくんが、「慶○義塾大学哲学科倫理科専攻」に在籍していたころを指し、いまとなっては、我が社において、「地獄」とあざなされている現場の準チーフといったポストについていて、その学歴とは何ら関係のない業務に携わり、年齢給以上の年収を稼ぎ出しているといったカレは、にもかかわらず、青年のままの屈託のなさを、7年前と同じ笑顔のうちに見せてくれました。
そんな彼の、「まだ書いているんですか?」
という質問に、
「うん、書いてるよ、、、自慢じゃないけど。でも、こんな現況のなかで書き続けているって、我ながら、やっぱり、自慢したいかも(笑)」
「そーですよね。でも、僕はやめちゃいましたけど、、、」
そんなカメアタマくんの返答を聞きながら、何ら生産性のない文学に、でも、オイラ自身が毒されていることの優越を感じました。
カメアタマくんよりキャリアを持つオイラが、カレの捨ててしまったものに固執し、かつ、いまだ、仕事の面でカレに敬われていることの嬉しさに、、、
「文学」をやっていて、はじめて占有権を得られたような、そんな、カメアタマくんとの邂逅でした。
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by viola-mania | 2008-04-06 00:18 | 雑感