<   2008年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

寒朝。

きょうは、この冬一番の寒さだったとか、、、
だからというわけではないけれど、顔じゅうのふさげる穴のすべてを覆い、7時30分のバスへ乗り込むと、乗車口で取った整理券をカバンのポッケへ滑らせます。
はらり、、、
と隣のひとの足もとへ落ちて行った整理券を、他人事のように見送り、
「ま、いっか」
とひとりごつ。
ほどなく、こつこつと腰の辺りを小突かれ振り向くと、清泉小学校の制服を着た女の子。
「はて、こんな若い知り合いいたっけ!?」
と逡巡するいとまも得ぬまま、女の子から差し出された指先を見ると、いまさっき落とした整理券が、恭しく掲げられていました。
「ありがとう♪」
となぜか、すごく嬉しくなって、女の子と同じ目線でお礼をいってみました。
はらりと落ちた整理券を他人事のように見送るオトナの視線は、でも、コドモのそれとは違っていたようです。
女の子が少しの勇気を奮ってくれたおかげて、寒い朝は、温かい一日の始まりとなりました。
とさ。。。
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by viola-mania | 2008-01-27 22:59

淡友。

編輯子のMさんと、仕事の空き時間に、新潮社を少し行ったところにある、「キトスカフェ」という、Mさん贔屓の店へ案内してもらいました。
どこか、書斎を思わせる店内は、店主の趣味になる? さほど難しそうでもない書物に溢れていて、それらの閲覧も自由といった気儘さ。
そんな気儘な空間で手にした書物は、松山猛の『松山趣味』と『京都贅沢の発見』の二冊。
それにしても、Mさんとふたり、読書という無言の時間のうえをたゆたう、この空気は何だろう?
幼い頃には、こんな“空気”が、ともだちとのうえにも、たくさんゆたっていたような気がします。
相手によって会話を強いられたり、或いは、面白くもない話に興じなければならないことの悲劇? に、ふと、思いいたったとき、やっぱり、オイラの望む関係は、「淡きこと水のごとし」それなのだと痛感。
ふたたび、仕事場へ戻るまでの3時間のうちに、Mさんと交わした会話は二言三言。
こんな“淡きこと水のごと”く流れていった時間を、いまさらのように懐かしく感じるのでした。
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by viola-mania | 2008-01-20 19:37

神手。

ともだちから、夜半過ぎに届いていたメエルをひらいてみると、


 沖縄に出た神の手の雲だそうです。しあわせになって欲しい人、七人に送ると願いが
 叶うそうです。七人より多くなるのはいいそうです。しあわせになって欲しいので送
 ります。(^-^) というメールが回ってきたので送ります。ほんとかな?


こんな怪メエル? でした。
「オイラ、いつも幸せだけどね」
と可愛くないことを呟きつつも、


 わお!! 「神の手」を見れて、とっても幸せ。ありがとう♪


といった、可愛いメエルを送ってみました。
そんなわけで、七人に、このノオトを読んでもらえると、オイラも幸せになれるというわけです。
みなさんも、幸せになってね。。。

*画像、チェーン・メールらしい、神の手。
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by viola-mania | 2008-01-13 14:37

年計。

新しい年を迎え、そろそろ、一週間が経とうとしています。
にもかかわらず、「松の内を過ぎる頃には、」などと、まだ先であろうその日を見越して、何の気なしにつかってしまったのは、こちらの呑気によるもの。
だって、あしたになれば、“松の内”は過ぎてしまうのですから、、、
とはいえ、この“呑気”も捨てたものではなく、一年の計をいま頃になって挙げるとすれば、“呑気”ということばも、その計画のうちの一つに連なることでしょう。
ところで、孔子の『論語』に、「仁者不憂」という慣用句があるけれど、広いこころを持った仁者は、道理に従い天命に安んずるがゆえ、煩(わずら)わされることや、心配事が何もない、、、というもの。
広いこころを持った「仁者」ゆえ、その愛情の深さから、これを憎むものがないのも、また、畢竟といわねばなりません。
「情けに刃向かう刃なし」、、、といったところでしょうか。
とはいえ、いまの世のなかにおいて、「仁者」を実践するとなると、“道理に従い天命に安んずるがゆえ”の弊害を避けることは難しいかもしれないし、また、“その愛情の深さから”、逆に、憎まれてしまうこともあるやもしれません。
だから、“呑気”に過ごし、実践のときを待つのです。
たとえば、勝負の世界の金言に、「弱い者ほど早く結論を出したがる」ということばがあるけれど、形勢が不利であっても、「まだ、まだ」といえる“呑気”さは、つねに身につけておきたいものです。
だからといって、「仁者」を、“呑気”ないいひとと勘違いしてもらっては困ります。
ワイルドは、“いいひと”の本質を


 いい人は、いい人たらんといい人をしているばかりでなく、いい人である以外に生き
 る道がなくていい人をやっている


ときわめて辛辣なことばでいいあらわしています。
もちろん、“いいひと”の存在を否定することはできないけれど、“いいひと”だらけの社会なんて、単に、幼稚な社会に過ぎません。
そんなわけで、バーナード・ショーがいった、「四十歳以上の男はみな悪党だ」に倣い、四十路を目前に、ことしは、「悪党な仁者」を目指したいと思っています。

*画像、実践のときを過ぎても。
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by viola-mania | 2008-01-06 14:10