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前世。

「前世治療」という療法を、このところのヒーリング・ブームで、よく目にするようになりましたが、もとは、アメリカ人の精神科医、ブライアン・L・ワイスが、20年ほど前にものした『Life Between Life』によって知られるようになった療法で、いわゆる「前世記憶」を遡ることにより、患者(クライアント)が抱えている病の治療に役立てるというもの。
さて、こんな話をするのは、歌人、小松剛さんのブログに記されていた「首を斬られたから首から上にサインを送るというのはとても哀しい」という一文に出逢ったことによります。
そもそも、この療法は、心的外傷を治療するのに用いられていて、ワイスは、前世の記憶が、現世での身体的特徴にあらわれているという説を、この書物のなかで解いています。
とはいえ、「前世の記憶は虚偽記憶の一種である」と、この療法に批判する声もあり、たとえば、「催眠によりありもしない記憶がつくられた」とすることや「物に残った記憶を読む」など、「前世治療」を利用するひとに、注意を促していたりもします。
そんなことどもに触れていたら、以前、ここにアップした、瞬篇小説のなかでの“記憶”がよみがえり、その下敷となっている、「比企館の悲劇」に思いいたりました。
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 七百数十年前のある秋の日、比企館のあるじ比企能員(よしかず)は、礼装に威儀を正
 して門を出た。彼の娘の若狭局は、ときの将軍頼家に寵愛され、“一万という男の
 子”までもうけていたので、このところ、なかなか羽ぶりがいい。その彼の行き先は
 名越の北条別邸。折しも将軍は重い病にかかっていたので、その平癒祈願の供養に参
 列しようというのである。
 が、人々が能員の姿をみたのは、これが最後だった。彼は北条館に入るなり謀殺され
 てしまったのだ。しかも小町の北条館からは、間髪をいれず、比企館に猛烈な攻撃が
 かけられた。やがて館には火が放たれ、修羅の炎にまかれて、うめき、叫び、のたう
 ちまわりながら人々は死んでいった。翌日、くすぶりつづける焼あとから発見された
 のは、いたいけな頼家の愛児“一万”の小袖のきれはしであった……。

                          永井路子『鎌倉の寺』より。


というのが、「比企館の悲劇」。
比企氏を滅ぼした、北条氏の紋は「三つ鱗(うろこ)」。
その紋所の寺、つまり、北条氏ゆかりの寺は、この辺りの随所に散見できます。
ところで、「前世記憶」を辿って? 書いた瞬篇小説によれば、オイラの前世は、“一万という男の子”になるらしい、、、
そういえば、オイラの左手には、幼い頃にケガした箇所が、火傷の引き攣れのように、醜い痕を残しています。
とはいえ、これも、“虚偽記憶の一種”なのでしょうね。。。
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  背負魂

 三つ鱗(うろこ)。
 記憶の片鱗でしかなかった、その図象を眼の当たりにした刹那、ふと、これまで背
 負っていた苦役を、かのものへ転嫁ならしめることを赦されたような気がした。
 下賤が背負ったその石には、彼らが一族の紋である、三つの鱗が刻まれている。
 この館の主(あるじ)、能員(よしかず)は、母、若狭局の実父にあたる。
 その祖父を、母の御胸に抱(いだ)かれながら、見送ったのは、かれこれ七百年以上も
 昔のことである。
 青い天蓋は、いよいよ澄み渡り、空華(くうげ)ならぬ、銀杏葉(いちょうば)を降らせ
 ていた。
 ふと、視界が黄色く閉ざされた。
 母は、はらりと顔を蔽(おお)った、その銀杏葉をいま一度、空(くう)に散らすと、い
 つまでも、祖父の背中を見送っていた。
 そして、一切の記憶は、この昏(くら)い背中へと収斂してゆくのだった。
 三方を山に囲まれたこの土地は、敵陣からの奇襲を禦(ふせ)ぐのに適した地所であ
 り、また、要塞でもあった。
 そして、この辺りの山から産出される石は、この土地の名を冠していながらも、しか
 し、堅固な印象を持つ地所から、切り出されたものとは思えないほど、脆く歪んでい
 た。
 下賤が背負ったその石を、ぼんやりと眺めながら、謀殺された祖父の無念を思い、父
 や母の悲しみを思った。
 しかし、三つの鱗が刻まれたその石は、強健な肉体に比した、優美な面(おもて)を持
 つ壮年の背(せな)に、弄(あそ)ばれているかのごとく、やすやすと背負われていたの
 である。
 業火に包まれた、祖父の館。
 非道な謀計。
 そして、焼跡には、この手のひらに握った小袖だけが残された。
 木漏れ日の注ぐ、糸杉の樹間を、何の憂慮もなく歩む、その明るい肉体が恨めしいの
 だ。

                                      畢

*画像、三つ鱗(北条鱗)。
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by viola-mania | 2007-10-28 00:00

恋慕。

好きだから気になるし、知ろうと思って、近づくんだけど、なぜか、辿り着けない。。。
あ、作家の話ね。
それが、中野美代子であり、久生十蘭なのです。
前者では、『カスティリオーネの庭』、後者では、『魔都』が好きな作品なんだけど、いずれも、読破できずにいます。
それら二つの作品が、ミステリであることはいうにおよびませんが、何というか、彼らの文体そのものが、ミステリというか、それ自体が、文体の迷宮性をもって律されている以上、なまなかなことでは、理解しがたいのです。
つまり、ミステリという娯楽を読むにしても、彼らのそれは、読者に知性と教養を要求し、あげく、ついてこれない読者は、その迷宮を抜け切れず、途中で、密殺、否、黙殺されてしまうというわけ。
とはいえ、「読者の思惑を無視して、書くべき対象を瞬時に把握してしまったような手際のいい凝縮された文章が隙間なく続いて行く」たとえば、久生十蘭のごときには、ついてゆけなくて当たり前。
それゆえに、近づきになりたいのです。
ところで、そんな十蘭の没後50年といった、節目の年に刊行された『久生十蘭<従軍日記>』のなかで、作家、橋本治は、上記、「読者の思惑を無視して、〜」に続けて、


 久生十蘭は「文章のありようによって独特の作家になっている作家」だが、そうなる
 のは文章術云々以前に、彼の思考がそのまま「久生十蘭の文章」に拠っているからで
 ある。私はそのように思っていて、「久生十蘭の思考がそのまま文章化されている
 データ」が見たいと思っていた。果して、ここにあるのがそれである。


と本書の「解説」で、十蘭の日記を読みたいと思った理由を述べています。
こちらはといえば、たんに、十蘭に“近づきになりたい”という一心で、或いは、日記であればそれも可能では? といった一縷の望みを本書に託し、買ってみたというわけです。
やっぱ、好きなひとの“日記”って何が書かれているか、気になるよね。。。

*「久生十蘭<従軍日記>」、講談社刊。
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by viola-mania | 2007-10-21 07:45

風媒。

キッチン・カウンターを磨いてからというもの、その狭い空間は、或いは、狭いがゆえに、何だか、落ち着ける場所となりました。
で、そのキッチンと書斎を隔てている引き戸を、ガラリと、左右のどちらかへあけると、一方は、通路になり、一方は、書架の裏側となります。
前後二列に書物が並べられる、書架の正面から見て、後列の書物を引き出すには、このキッチンと書斎を隔てている、引き戸の前にそれを設える以外手立てがない、或いは、こんな間取りが効を奏したものか、こんな書架にとって、この場所は、定位置といえるのでしょう。
そんな書架のかたわらに、丸い座面のスツールを置き、書斎への通路を塞ぐ引き戸に背をもたせ、書架の裏側から引き抜いた書物を読んでみます。
キッチン・カウンターに面した窓から、金木犀の甘い香りをはらんだ風が、サーっと吹き抜けます。


 風をだに戀ふるはともし風をだに来むとし待たば何か嘆かむ   万葉集


で、ひらいているのは、赤江瀑のエッセイ集『オルフェの水鏡』。


 私の場合、歌はおおむね、気まぐれな風が運んでくる花粉の世界の中にある。風がな
 ければ、歌はほとんど、私の暮らしには無縁だし、風はあっても、その風に花粉のす
 がたが見えなければ、ごく平然と風だけが私の上を素通りする。


ある歌人のうた、七首に寄せた、七章からなるミステリ小説のうち、書き上がっている六章までをプリントアウトすると、一年半以上にもなるそれを読み返しながら、推敲を進めました。
こんどの個人誌『薔薇窗』用に書いた、無風の作品とは一変、右から左へ吹き抜ける、風のようなものを感じました。
いささか、毒粉をはらんだ風を。。。

*画像、キッチン側から見た書斎。
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by viola-mania | 2007-10-14 07:38

両吟。

歌人、土岐善麿と俳人、伊東月草の連句「斜面荘両吟」には、善麿の、年少者ではあるが、月草に対する畏敬と、自らを「しろうと」と称しつつも、衒いのある様子が窺え、その句に、負けん気の強さが感じられた。
そんな善麿が、戦後間もなく立続けに刊行した、「四季」をそれぞれの表題にした歌集のうち、『春野』を、先日、贔屓の古書肆で手にいれた。
でも、所持する、一つ前の歌集『冬凪』に比べ、その劣位にがっかりした。
とはいえ、巻末に掲載されている随筆のうち、「椅燈四吟」と題された、善麿以下、三名の歌人による連句を挙げて、そのエピソードを語ったそれは収穫だった。


 うららかや染めわけて濃き湖の色     井泉水

 湯の香に惜しむ春のせわしさ       善麿

 山繭のぬれゆく野辺に傘さして      迢空

 あすをたよりにふり仰ぐ空        茅秋


一見、迢空の優位は、歴然である。
“迢空”というのは、いうまでもなく、折口信夫・釈迢空のことであるが、以下、迢空の句のみ挙げておく。


  さぶしがる山羊を曵き込む土間秋を

 ◎九重に黛にほふ名をのこし

  住みすててゆく草庵の月

 ○夜のまの池に孵る蟇(ヒキ)の子

 ○わきがをつつむ恋のあはれさ

  蠅のうごめくげにや寒あけ

  家(ヤ)うつりにランプの笠の赤きのみ

  居留守をつかふ隣静けし


「◎」の句の何という艶やかさ、、、
迢空にいわせれば、「恋」は、日本文学のなかで、一朝一夕には、片づかない主題であり、江戸初期以降の「恋」の句の処理のなしかたは、恋文の発祥ともいえる連歌からは、だいぶ遠のいてしまったということである。
とはいえ、この“艶やかさ”は、いったい!?
或いは、迢空なりの“負けん気”、もしくは、気負いだろうか。
では、誰に対しての“気負い”ということになるわけだが、恐らく、善麿に対するそれではないかと邪推してみると、ここに、一つの物語も生まれてこようというもの。


 九重に黛にほふ名をのこし        迢空

 歌反古はいつともわかぬ恋ごころ     善麿


「倭をぐな2」、密かに進行中である。。。

*画像、ホウライシという名の無花果
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by viola-mania | 2007-10-07 15:20