<   2007年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

因果。

写真に陰画と陽画があるように、日々の読書にも、その傾向は顕著です。
たとえば、ジャン・ジュネの、数こそ少ないけれど、一連のそれを陰画とするなら、いまの陽画は、江島厚のホモ小説といった具合に、、、
カメラの元祖、タゲレオタイプが、陰画しかつくれなかったように、ジュネという名のそれは、読書に目覚めた当初から、でも、進化することなく、一つの理論に対して、一つの思想を与え続けてくれています。
陽画にたとえた読書(エッセンス)がどうあろうとも、陰画であるジュネは不動というわけです。


 これこそ、老水夫が噛み煙草のように噛まねばならない、美少年の睾丸だ


この一節が、何を伝えているのか、その前後の文章、或いは、その唐突性を引いたところで、読み解くのは難しいといえるでしょう。
でも、


 太陽が没するように、船が沈没する(、、、、)という表現がある。


のように、先の一節を、“表現”として読んでみると、伝わる何かもあろうというものです。
そんなわけで、ことばの魔術師、ジュネの一言一句は、聖句のように、己の血肉となり、理論の骨子となっています。


 神父つねに胡瓜漬けたるつよき酢をこのめり聖句となへ忘れし   邦雄

*画像、フランス装が、薄っぺらな学生鞄に馴染んでいた、ジュネそれぞれ。
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by viola-mania | 2007-07-29 10:35

旅行。

櫂さんから持ちかけられた、実験映画の筋書きを、草稿に書き起こしたあとで、つぎの映画のモチーフとなっている「旅」から、“列車”や“記念写真”といったことば残りました。
前者は、「旅」へ向かわせるための手段であり、後者は、「旅」から戻ったあとの回想に、それぞれ用いられるというわけです。
ところで、日本で、もっとも日本的な映画監督とされている小津安二郎の映画のなかにも、“列車”や“記念写真”といったアイテム? が頻出します。
“列車”についていえば、小津が、列車を好んでいたことのほかに、それが、変化と神秘の運搬具であることがいえるでしょう。
“記念写真”についていえば、小津の映画で記念写真が撮られると、その家族に必ず離散や崩壊が起こるというジンクス? は、でも、仕組まれたことであって、このことは、頼りにならない未来を、記念写真に定着させた過去のなかに、招来しているといえるでしょう。
で、つぎの映画についていえば、“列車”や“記念写真”は、「旅」へ向かわせるための“手段”と戻ったあとの“回想”にしか用いられず、そのもの自体には、何の意味もありません。
「旅」へ向かうという未来と、戻ったあとでの過去から、持ち帰った不確かな想いが、現在において確かなものになってゆくという寸前で、物語を終わらせてみました。
ノスタルジアはあとにできあがる写真のイメージにあるのではなく、イメージそのものを留めておこうとする努力のなかにあるのですから、、、
そんな、つぎの映画です。。。

*画像、近所の私道。
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by viola-mania | 2007-07-22 10:50

黴臭。

きょねん夏から、ことし冬までの成果を、段ボールに詰め、家屋の傍らにつくりつけられた物置きに仕舞ったのは、春先のこと。
その五箱の段ボールに詰めた成果、つまり、買い集めた書物のなかから、保育社の『標準原色図鑑全集1 蝶・蛾』を探し出すべく、腹をくくったというわけです。
“腹をくくった”などとことさらにいうのも何ですが、一箱の段ボールに詰めた書物の重さや、温気のこもった密室でからだを折り曲げながらする作業を思うと、腹もくくりたくなろうというもの。
いくぶん水気をはらんだ段ボールの封をあけると、それよりも高い湿度を帯びた空気が、一瞬ただよい、我が家の書斎とは違う、知らない誰かの仄暗い書斎の情景が、これも、一瞬浮んで消えてゆきました。
読みたかったけれど、取り出す労を厭(いと)い、我慢していたいくつかの書物を、『標準原色図鑑全集1 蝶・蛾』とともに、物置きから持ち出すと、ポタリ、、、
地面に、汗のひとしずく。
けしてゾンザイには扱っていないものの、物置きの隅に追いやられていた書物たちとの久闊? を、ほんのり漂う黴臭さのなかで叙し、あらためて、彼らとともだちでいられることの嬉しさを感じたひとときでした。
汗に湿ったシャツを脱ぐと、タンクトップの肩に夕風が、心地よく吹き抜けてゆきました。
るるる♪
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by viola-mania | 2007-07-15 07:45

信頼。

「ユニット」ということばを、“新解さん(新明解国語辞典)”で調べたら、

 単独使用も可能だが、幾つか組み合わせても使えるように作ってあること。

とあり、いまさらながら、いい得て妙な外来語であると思いました。
ところで、漫画家、鳩山郁子さんの長篇『ダゲレオタイピスト』は、「月兎社」という偏愛的な古物(こぶつ)を、ウェブ上で商っているお店から刊行されたものなのですが、このお店は、また、鳩山さんや、勝本みつるさんといった、アーティストの作品集を、小規模ながら刊行している書肆でもあるのです。
店主は、デザイナーでもあるKさん。
まさに、「ユニット」ということばは、そんな、Kさんの経営スタイルを、“いい得て”いるし、そこから生まれるもののすべてが、“妙”、つまり、素敵なオーラを纏っているというわけです。
ありていにいえば、「夢」を商うお店とでもなりましょうか、、、
「なんか、“夢”がありますよね」
とは、きのうの電話で、櫂さんが呟いたことば。
「“夢”ですか?」
と半信半疑で受け止めつつも、櫂さんからの直球に打たれた感が拭えません。
だから、
「はい、“夢”を見ましょう、三人で!!」
といった、面映いことばが、ゆくりなくも、ポロリと零れ落ちてしまったのかもしれません。
「じゃあ、“ユニット”名は、“カメラ・オブスキュラ”とでもしましょうか?」
と櫂さんに、こんどの短篇映画を機に、立ち上げようとしている、我々、三人(美青年さんと櫂さんとオイラ)の“ユニット”名を、申請してみます。
それぞれの思いが、一つの結晶を生み出す、その要素として不可欠なのは“信頼”という名の化合物であるのかもしれませんね。。。

*画像、櫂さんによる最終稿。
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by viola-mania | 2007-07-08 14:37

秘玉。

秘密を玉にして、呑み込むようになったのは、いつの頃からだろう。。。
“秘密”といったところで、或いは、他のひとからしてみれば、“秘密”などと、ことさらにいうようなことではないかも知れないけれど、一つだけ“秘密”にしておきたい想いがあります。


 「見たか。」
 高峰は頷きぬ。「むゝ。」
 恁(かく)て丘に上りて躑躅(つつじ)をみたり。躑躅は美なりしなり。されど唯(ただ)
 赤かりしのみ。

                               (部分、ルビ省略)


貴船伯爵夫人と医学士高峰は、ツツジの花咲き乱れる小石川植物園で、ただ一度、擦れ違っただけで、互に想い初(そ)め、その想いを深く秘してきたのでした。
この泉鏡花の「外科室」にも、“秘密を玉にして、呑み込”んだ、伯爵夫人のことが書かれています。
ところで、


 思いおく心の底の夢ならばさめてののちも人に語らじ


といううたが、新古今の俊英歌人たちによって編まれた「六百番歌合」のなかにありますが、こんな、“忍恋(しのぶるこい)”を詠んだ、寂蓮のそれが、やけに気になる、けさの寝覚めというわけです。
さて、歌人、塚本邦雄は、寂蓮のうたについて、「現実の恋からはほど遠く、恋を恋する言葉の影」が「未遂で終わることを前提として嘆いてゐるやうな心弱さが見える」と評していますが、むしろ、夢であったものが、現実のものとなった途端に来たすのは、いつも破綻であって、夢をゆめのままで、或いは、夢を温存し続けたいとの強い想いが、こころに秘密の玉をはらませるのでしょう。


 私はね、心に一つ秘密がある。麻酔薬(ねむりぐすり)は譫言(うはごと)を謂ふと申す
 から、

                               (部分、ルビ省略)


貴船伯爵夫人が、こころにはらんだ秘密の玉の露見を、かたくなに拒んだ理由が、いつの頃からかわかるようになりました。。。
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by viola-mania | 2007-07-01 08:55