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隠喩。

我が家の周りは、土地柄、緑が多い。
まあ、山のなかに暮らしているので、“緑が多い”と感じるのは、当然のことなのですが、初夏ともなれば、目に鮮やかなこの緑、一見、詩情を誘うこの緑も、共生するとなれば、話は変わってきます。
野方図にはびこる緑ほど、手の焼けるものはありません。
緑で手を焼く。
だなんて、ホッケが聞いたら何と解釈することやら、、、
グスタフ・ルネ・ホッケといえば、種村季弘・矢川澄子の共訳による『迷宮としての世界』(昭和41年 美術出版社刊)の著者として知られていますが、この書物で、ホッケが述べていることこそ、“緑で手を焼く”ような奇想であり、翻っていうなら隠喩というわけです。


 マニエリスムは表現に遊んだばかりではなかった。そのように表現する目的をもって
 いた。まずもって、そこには神秘を暗示したいという衝動が渦巻いていた。むろん神
 秘を扱いたいというだけなら宗教者も宗教画家たちもオカルティストも、あるいはド
 イツロマン主義に代表されるような文芸者たちもみんな神秘を扱っているのだが、マ
 ニエリスムにとっての神秘はそうではなく、絵画的技法あるいは文芸的修辞そのもの
 が神秘の暗号であるような、いわばそれだけを見たり読んだりすれば決して神秘の賛
 美とは見えないようなもの、すなわちアンチ・クライマックスと見紛うばかりの神秘
 なのである。


と我らがセイゴオ先生(松岡正剛)も、ホッケによる『迷宮としての世界』の主題である、“マニエリスム”について、上記のような補足をされています。
ところで、“マニエリスム”とは、「マニエラ(maniera)」、つまり、手法、或いは、様式といった意をあわらすことばであり、セイゴオ先生のことばを借りていうなら「ある時代の割れ目に向かって決定的な精神の変動をおこうとした者たちが気がついた<方法の自覚>のこと」となるわけです。
セイゴオ先生のいう、“文芸的修辞そのものが神秘の暗号”であるとは、まさに、“マニエリスム”が文学に憑衣? した際、もっとも要所を得た表現であることは、“緑で手を焼く”の一語をとってみても、明らかといえるでしょう。
さて、“緑”に“手を焼”きながら、小庭の草取りをしていたら、門前の桐の木に、キリギリスがとまっていました。
これからの季節、それこそ、降るような虫の音を奏でる、コイツが張本人? というわけです。
“キリギリス”といえば、『ラ フォンテーヌの寓話』をひくまでもなく、浪費家の寓意。
足下を見れば、アリの行列、、、
我が家の小庭は、マニエリスムに溢れています。
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by viola-mania | 2007-06-24 14:07

少年。

小高い丘にひっそりと佇んでいるその館は、前田利家の系譜にあたる、旧前田公爵家の別邸として、この地に建てられたということです。
いつか、両親とここを訪れたときにした匂いが、館へと向かう、小暗い並木道に足を踏みいれた途端、どこからともなく漂ってきました。
ネズミモチ。
という樹木の花の香が、その匂いの正体であることは、それ以前に嗅いだことのある、子供の頃の記憶を辿ってわかったことであり、この館において催されている、「澁澤龍彦 カマクラノ日々」でも、澁澤が辿ったであろう“子供の頃の記憶を”、自分のなかの記憶として、追体験することができました。


 あれは私が小学校の二年くらいだったろうか、何でも日のよく当った、休み時間の校
 庭だったようにおぼえている。私は遊び仲間から離れて、一人ぼんやりと花壇の縁の
 石に腰をおろしていた。ふと顔をあげると、私の前に、当時の担任の教師だった女の
 先生が立っていた。先生は神秘的な微笑を浮かべると、私の額に指を一本押し当て
 て、いやにしみじみした口調で、「あんたは疳の強い子だからねえ」とつぶやいた、
 「今度、先生が虫封じをしてあげましょうね。それはよく利くのよ。ここんところに
 護符(先生はゴフウと発音した)を貼っておくとね、悪い虫がどんどんどんどん出てく
 るの。虫がぜんぶ出てしまったら、あんたは素直ないい子になるわ」
 虫封じとは何のことか、護符とは何のことか、私にはさっぱり分からなかったが、私
 はこの女の先生から、額に虫を追い出すための孔をあける、へんな外科手術のような
 ものを受けている場面を頭のなかに思い描いて、そのとき、戦慄的と言ってもよいよ
 うな甘美な感覚を味わっていた。
 先生の指の押し当てられた自分の額から、羽蟻のような透き通った小さな虫が、わら
 わらと群れをなして、いっせいに飛び立つシーンをも私は頭のなかに空想した。小さ
 な虫は日の光にきらめきながら、煙のように空気中に拡散してゆくのである。


「虫」と題されたこのエッセーがはいっている『玩具草紙』を傍らに、澁澤の直筆になる原稿(青ペンで記された推敲も興味深く)を、床に立てひざをついて眺めていたとき、そういえば、いつか両親とここを訪れたとき、あの並木の下の歩道で、蟻の行列を見たのだったっけ、、、とそんなことを、その視線の高さから思い出しつつ、このエッセーの一部を読みました。
そんな、小さなものの営みを愛する少年の眼を、日常に鈍磨されたその眼の輝きを、シブサワ少年は、取り戻させてくれました。

*画像、鎌倉文学館、エントランスにて。
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by viola-mania | 2007-06-17 11:36

玲瓏。

黴雨空(つゆぞら)がずりおちてくる マリアらの真紅にひらく十指の上に   
『水葬物語』

硝子工くちびる荒れて吹く壜に音楽のごとこもれる気泡   
『装飾楽句(カデンツア)』

冬の蓮沼よりひきあげて秤(はか)らるるイエスのむらさきの死の腕(かいな)   
『日本人霊歌』

青年期たちまち昏れて蛇屋にはむせびつつ花梗(くわかう)なす夏の蛇   
『水銀伝説』

こばみあふ心と肉よ一まいの彩硝子火のいろあせゆきぬ   
『緑色研究』

牀の花氈の花芯に臥していつはりを胎(やど)せしのみよとはにまをとめ   
『感幻楽』


歌人、塚本邦雄が亡くなったのは、「二○○五年六月九日、午後三時五十四分、呼吸不全のため」と「塚本邦雄年譜」には記されています。
あれから二年、塚本の好きだった泰山木は、ことしも変わらずひらいています。
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by viola-mania | 2007-06-10 07:38

腐蝕。

通信誌『風信人 ヒアキントス』の発送準備を終えると、いよいよ、することがなくなりました。
細くあけた書斎の窓から、門の鍵を上げる微かな金属音が聞こえ、ついで、土を踏む鈍重な足音。
「誰だろう」
無骨な拳の持ち主であろうそのひとが叩く、玄関扉をゆっくりあけると、何のことはない、郵便配達のお兄さんでした。
上背のあるそのひとが、胸元に掲げているその小包を訝しそうに見つめながら、でも、いわれた通りにサインをし、「ご苦労さま」とひとこと、もと来た玄関先を、律儀にも門の鍵を下ろして、そのひとは帰ってゆきました。
苔むした飛び石の上に散らばる、オールド・ローズの花びらを踏みしめながら、、、
小包の表書きには、見覚えのある筆蹟と名前が記されていましたが、中身が何であるのか、皆目検討もつかず、、、
「わお!! 若冲!!」
京都にある、相国寺での展覧会の折りに求めたのでしょう、そのこころづくしを、ありがたくいただきます。
さて、畳の上に腹這いに寝そべり、塚本邦雄の『緑珠玲瓏館』を読んでいたら、あれよという間に、もう、7時。
それにしても、糜爛(びらん)した花びらのせいでしょうか、玄関先がいつまでも明るいのは、、、

*画像、そろそろ終わりです。
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by viola-mania | 2007-06-03 07:08