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黄戀童。

わたしは、御霊(みたま)が鳩のように天から下って彼の上にとどまるの を見た
                                            ヨハネ伝1−32

墨流しの空を劃(わか)つ水浅葱(みずあさぎ)。
長雨(ながさめ)に昏(くら)く湿った土に、スコップを差し込むと、土は寝巻きの袖から覗く、僕の細い腕を嘲笑うかのように、しかし、その頑(かたくな)な地面は面白いくらいに綻び、やがて、僕は、寄宿舎(ギムナジウム)の裏手に広がる雑木林のその場所に、僕ひとりが容易(たやす)くはいれるくらいの墓窖(ぼこう)を掘り終えた。
空の水浅葱を透かして、揺らめく太陽が、僕の眸(ひとみ)を優しく射(い)った。
その刹那、僕の水晶体に一羽の黒い鳥が、否、白い鳥がはいり込んだ。
僕は、静かに瞼を閉じた。
そして、僕は、その薄闇に満たされた檻(おり)のなかに、白い鳥を閉じ込めると、抜け殻となった彼の屍(しかばね)を、足許の深淵に蹴落とした。
彼の瀕死の声が、土の滑る音に鈍く紛れた。
僕の白いスニーカーは、やがて、地面と同じ色に染まっていた。
鳥小屋に飼われた、印度孔雀が、長鳴き鳥のように常世の夜明けを告げていた。
あと、一時間もすれば、この雑木林を抜けて、通って来る生徒もあるだろう。
僕は、土に汚れていくぶん重くなったスコップとスニーカーを引き摺りながら、まだ、目醒め得ぬ、寄宿舎(ギムナジウム)の自室へ戻った。
僕は、机上に空しく置かれた花瓶を見詰めると、その傍らのベッドで、安らかな寝息を立てている彼の、健やかな横顔を見守った。
花瓶には、彼が、きのう花壇から剪(き)ってきたヨハネ草が、溢れんばかりに生けられているはずたった。
その黄色い、太陽そのもののような花を抱えて、僕は、星のない暗い雑木林の地中に、聖人ヨハネの名を冠した、その花を埋(うず)めた。
僕は、聖書をひらくと、ヨハネ伝一章三十二節にある、福音を唱え、静かに瞼を閉じた。
そして、薄闇に満たされた檻のなかに、白い鳥の姿があるのを認めて安堵するのだった。
眠りいる彼に、目醒める気配はない。

                                                   畢
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by viola-mania | 2006-06-16 17:52

苦味酒。

 私の悩みとさすらいの思い出は、苦艾(にがよもぎ)と苦味だけ
                                              哀歌3−19

拝復
あのひとの死を知ったのは、貴女から、文(ふみ)が届いた前日の晩のことでした。
貴女もご存知の、あの顔中、髭だらけの熊のような男、作男であることを理由に、ろくに湯も使ったことのない、獣じみた彼奴。
その晩は、作男にあるまじき、たいそう酒を呑んでいて、死んだあのひとへの恋情を酔いに任せて、主人であるわたしに、縷々語っていました。
わたしの気持ちなど、まったく意に解そうともせずに。……
ところで、貴女の計略にのって、捨小舟とともに、桜のふしどに沈んだあのひとの最期たるや、絵巻物を観るように、さぞや美しかったものと察します。
いえ、誤解なきよう申し上げておきますならば、確かにあのひとが美しいことは、わたしも、そして、貴女も認めていることゆえ、異論はございません。
しかし、そのこととは別に、あのひととの婚姻は、家同士のそれにほかならず、わたしの意志のはいり込む隙など、毛筋ほどもなかったのです。
たとえあのひとが、男性を怖れていようとも、わたしとあのひとの婚姻は、成立していたことでしょう。
貴女が手を下さない限りにおいては、……
ところで、貴女からの朗報を届けてくれたかの作男は、死にました。
自らがつくった酒による中毒で、川へ落ち、翌朝、斃(たお)れていたところを発見されました。
苦艾(アブサン)に含まれる有毒成分によって、中枢神経を犯されてしまったのでしょう、わたしは、作男が、その酒を常用していたことも知っていましたし、その酒に、阿片のような幻覚作用があることも知っていて、或いは、わたし自身が、つかの間の享楽に酔いたいがために、作男にそれを赦していたのかも知れません。
その苦い味を愉しむために。

                                                   畢
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by viola-mania | 2006-06-16 17:39