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葡萄珠。

 うづくまりながらでなければ睡れない一粒の葡萄のごとき弟   剛

木造りの卓子(テーブル)と二脚の椅子が置かれたきりの簡素な部屋。
その内部を照らす電燈の明かりも、ぼんやりと暗く侘びしいものだった。
卓子の上の木皿には、一房の干涸びた山葡萄が載っている。
黒ずんだ果実がやがて枯渇した、一房の上を蔽(おお)う私の影に、それは、黒い塊か何かのように見えた。
或は、弟の魂の形骸を、私は、木皿の上にうずくまる山葡萄に見ていたのかも知れない。
卓子を央(なか)に置いた、四面の壁の一つにひらいた窓から、暮れ方の陽が、侘びしい燈火に照らされたこの部屋に、燦々(さんさん)とそそがれている。
真西に向けてひらかれた窓にそそがれる、落日の光が、窓と対向する壁の一面に、極楽浄土を浮かび上がらせている。
春彼岸のその日、私は、この光の浄土ともいえる場所で、ふたたび、弟とまみえることができた。
私は、空いているもう一脚の椅子を、弟のために引いてやると、光の胞衣(えな)をまとったそのひとは、音も立てずに椅子に座り、木皿の上に転がった、山葡萄の一粒をつまみ上げ、
「ある種の結晶のなかには、それが生じたときからすでに、一種の犯しがたい活力の純粋さ、彼らの結晶意志の抑えがたい力がひそんでいるように思われる」
と誰にいうとはなしに呟いた。
ふと、私は、弟のそのことばが、彼の生前に愛読していた、ラスキンの『塵の倫理』のなかの一節であることに気づくと、懐かしいような、切ないような感慨に見舞われるのだった。
その刹那、光の胞衣をまとったそのひとのからだは、中空に浮かんだ山葡萄のなかへ、見るみる吸い込まれていった。
私は、球体の形をなした、山葡萄の一粒を、つまみ取ると、恐るおそる口許へ運んだ。
そして、その一粒を呑み込んだ。

                                                   畢
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by viola-mania | 2006-03-21 22:45

少女孵。

 わたしがこれからどうなりたいか、それは少女の頃とかわらない。美しい生き物でありたいと願っているだけであ
 る。
                                           安珠『安珠の行方』

Aの写真に出逢ったのは、彼女が、女優、Tを撮った作品集『少女の行方』がはじめてだった。
アリスに扮した少女の怯えを孕んだ眼差しと、そのこころを映しているかのごとく、いまにも泣き出しそうに昏(くら)い空。
その写真を見たとき、或は、その少女を見たとき、幼い頃の自分に出逢ったような気がした。
Aの作品集『少女の行方』を手にした青年が、そこに見たのは、少年の頃の自分ではなく、少女の頃の自分だったというわけだ。
何とも可笑しな話である。
昭和時代の始めに一世を風靡した挿画家、高畠華宵の描く美少年をあらわすことばとして、「少女が少年に扮したかのような」という形容があるが、その道理に照らせば、まんざら可笑しな話でもないと納得することもできる。
といって、青年が、かつては美少年だったという話がしたいわけではなく、……
つまり、

 わたしがこれからどうなりたいか、それは少女の頃とかわらない。美しい生き物でありたいと願っているだけであ
 る。……柔らかく透明で汚れのない心でありたいと願っている。

Aのことばに、彼女の写真にはじめて出逢ったときに感じた、“少女の頃の自分”を見たという、その理由がわかったような気がした。
“美しい生き物でありたいと願”う気持ちが、そこに仮想の少女を生み、それに成り変りたいという願望が、“少女に孵る”という幻想を見せていたのかも知れない。
ふと、Aのポートレートに映し出された、彼女の眼差しを見つめていたら、“少女の頃”の記憶が甦った。

                                                   畢
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by viola-mania | 2006-03-12 15:54