カテゴリ:天体( 2 )

月病。

最近、「月遊病」ということばを目にすることがあって、ふと、先日の満月を思い浮かべました。
確かに、称讃にあたいする、かたちと光を湛えてはいたけれど、陽光のもととは異なる夢幻的な趣きを、そこに感じることはありませんでした。
ただ「きれいだなあ」と思っただけでした。
そんな、月の光に晒された、己がこころの廃墟を見なくなって、いくとしつき、、、
「月遊病」というのは、この“廃墟”への埋没願望と、それに陥る危惧を感じながらも、悶々とその月日を送ることでしか、病の進行を抑えることが出来ないといった、ある意味、不治のそれ。
病症といっては、理由のわからぬ憂愁が胸のなかにひろがり、やがて、ふさぎの虫が肺腑を食いつくすと、いつしかはいり込み飽和した空虚によって、その胸が破裂してしまうというもの。
その結果、こころのうちに“廃墟”を現出させてしまう病なのです。
とはいえ、“廃墟”からの脱却方法がないわけではありません。
先日の満月を、ただ「きれいだなあ」と眺めたおり、ふと、雲に陰った月のあらわれに、「出たでた月が、、、」とつぶやかざるを得なかった心境こそが、「月遊病」完治の証(あかし)でしょう。
月を、ただ「きれいだなあ」と眺めるのみで、それとの連関を、その美しさに求めなかったことが、何よりの左証なのです。

*画像、先日の満月。
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by viola-mania | 2008-10-26 00:30 | 天体

宇宙。

たびたびつかう、「夜空に掛かる星」ということばは、まことにパースペクティブな比喩であり、そのことにあらためて気づいたのは、アーサー・レーブという視覚芸術の研究者が、子供の頃に夜空を見ていった、
「穴だらけだ」
という発言に触れたことによります。
子供は、夜空の光と闇のコントラストに、単純に反応しただけなのでしょうが、じつは、この「単純」ということばに、宇宙の秘密が隠されているのです。
ところで、画像の図版は、アイザック・ニュートンの方程式から導き出された、「秩序」と「カオス」の関係を示したものですが、この図版に見る、二本棒の振り子が、そのことを物理的にあらわしています。
というのも、上方の端が固定された一本目の棒からなる振り子は、単純に前後に揺れるだけなのに対し、下方の端が揺れる二本目の棒からなる振り子は、その運動が複雑になるため予測がつかなくなるというもの。
つまり、ニュートンの方程式には、正確に予測できるものと、不規則なものとが含まれていて、この方程式に見る二重性は、一見秩序だった予測可能な動きが、不規則で予測できない動きへと、簡単に移行する物理的なふるまいを反映しているかのようにも思え、いつか、
「秩序とカオスは、決定論の基礎にある二つのもののあらわれであり、そのどちらも一つだけでは存在しえない」
と何かの書物で読んだ一文に、なるほど、そんな関係があったのか!! といまさらながら納得しました。
とはいえ、太陽系が古来より変らぬ配置で過ごしてきたことは確かであり、その惑星の分布や配列も、ほぼ一定であるということを、我々は、知識として把握しています。
そんな「秩序」ある太陽系にあって、あれこれ「カオス」を巡らす我々は、ニュートンの方程式を引き合いに出すまでもなく、この「単純」な宇宙の営みのなかで暮らしています。
これは、リンゴが地面に落ちるほどの驚きであーる。。。
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by viola-mania | 2008-04-20 00:08 | 天体