カテゴリ:雑感( 45 )

鬱石。

このたびも空振りでした。。。
といって、前回は、「リンパ腺 腫れ 痛み」という単語をグーグルにかけ、「急性リンパ性白血病」といった、死にいたる病をヒットさせたオイラでしたが、このたびは、「夜になると 微熱 咳」という、これもひと昔前なら、“死にいたる病”といわれていた「結核」がヒット。
ともあれ、双方とも、“空振り”に終わって何よりでした。。。
ところで、過去に1度罹った都内の某総合病院と、ことし2度罹った地元の病院との、初診の印象のうち、そこに相似点があることを発見、思わず「大丈夫か!?」といいそうになったこと、

其の一 診察を受ける前にその容態を「くわしく」記入しているにもかかわらず、「ど   
    うしました?」と訊く。

其のニ 問診票に写し取られてゆく字が日本語なのにドイツ語に見える。

其の三 オイラが話し出すなり、専門用語を使い始める。

「どっちが、病気か!!」
と、本気でいいたいよ。。。
長時間待たされたあげく、出たのが鬱積(石)っていうのも、どうかと、、、
とはいえ、これには後日談がありまして、、、
地元の病院に罹ったその三日後、医師から電話があり、あってはならないカゲがレントゲンに映っているというのです。
「ホチキスの針のようなかたちをしたものが、、、」
という医師に、
「すみません、そのとき着ていたシャツに、ホチキスの針とまってました;」
と何の臆面もなく応えるオイラは、実は、とんでもない病に犯されているのかもしれません。
はい、天然という名の。。。

*画像 肋骨のような雲。
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by viola-mania | 2008-09-21 17:28 | 雑感

夜想。

日中にのんだ鼻炎薬がいけませんでした。
つうー、、、
と伝う鼻水に、始めて服用するカプセル、ひとつ嚥下。
それでも止まらぬ鼻水にマスクをあてがい、何とか仕事は終えたものの、薬の副作用が帰宅の途上に見せたものは、或いは、幻覚であったのかもしれません。


 詩人や画家などの芸術家は、合理的な知性というものに気をつけろと警告を発しつづ
 けてきたのだ。ブレイクはこの合理的知性を彼の予言書の悪玉とし(ユリゼン「理性」
 と呼んでいる)、ワーズワースも、私たちが成長するにつれじわじわと迫ってくる「牢
 獄の影」は主に合理的知性のせいなのだと認識していたし、アラビアのロレンスは知
 性を彼の「看守」と呼び、物質的現実の豊かさ複雑さが思考によって「篩(ふるい)に
 かけられ、類型化されられ」てしまうと書いたのだった。

           コリン・ウィルソン『フランケンシュタインの城』部分より。


どうやら、“薬の副作用”は、日頃、左脳の支配下にある意識の活動を停止させ、右脳の意識の活動を助長させたとおぼしいのです。
山道を登る街道の途中にある「岐(わか)れ道」で、自転車に跨がり、信号待ちをしていた、手足の長い顔面蒼白の少年とも老年ともつかぬあのひとは、、、
夜の車窓に、あてがったマスクの片頬を映し、その向こうに佇むあのひとと交わした眼差しは、一瞬のようにも一生のようにも思われました。
あれは、右脳が現出せしめた、パンセの具現であったのかもしれませんね。

*画像、鳩山郁子「青い菊」より。
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by viola-mania | 2008-09-14 08:38 | 雑感

形質。

はじめてのカラーリングが、白髪染めのオイラは、いわゆるスタイリングというものに、めっぽう疎(うと)い。
そのくせシャンプー&トリートメントは、サロン仕様のそれらを使っているといったチグハグさ。
つまり、見かけをつくろうより、その根本をどーにかしたいと、ビューティ・ケアに対する姿勢は、いたって地味。
とはいえ、“白髪染め”にはじまる老化防衛については、やはり、“見かけをつくろう”ことに頼らざるを得ないという矛盾もはらんでいて、齢(とし)はとりたくないねえ!! との諦念のうちに鼓舞をはらませたひとことを呟くばかり。
さて、そんなオイラが齢(とし)がいもなく、ひとからいわれて嬉しいひとことに、肌白いね!! があり、その昔に読んだ沼正三の『家畜人ヤプー』以来、自らの形質に対する意識が高まったことは否めません。
マイケル・ジャクソンは置くとしても、その形質ばかりは、いくら金を積んでもどーにも変えられないし、死ぬまでそれにつき合わなければなりません。
七難隠すといわれた肌の白さを呪った、少年時代もあったけど、母親譲りのこの肌を陽に晒すことなく、晩夏の季節を過ごそうと思います。。。

*画像、男前やね!! (笠井あゆみさん、ゑがく)
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by viola-mania | 2008-08-31 10:42 | 雑感

送盆。

夕風に薫る線香の匂いに、いまがお盆であることを、すっかり忘れていたことに気づき、何だか寂しくなりました。
オトナになると「夏休み」という概念が希薄になるからでしょうか? いやいや、それを唯一の楽しみとしているのは、存外、一般社会に棲息しているオトナと呼ばれる生物たちのほうかもしれません。
Tシャツに七部丈のパンツといった格好で、それを何分の一かに縮小したコドモの手を引くオトナの姿を見ると、「夏休み」という風物自体が、つくりものめいて感じられ、何だか不愉快な気分にさせられます。
とはいえ、こんな感慨を持つこと自体、オトナになり切れていない証拠でしょう。
だから、「終わらない夏」ということばが、「永遠の少年」というそれを喚起させるのは、自明の理(ことわり)であるのかもしれません。
さて、“線香の匂い”についで、鐘の音が聴こえてくると、その不可思議な光景に、目を見張らざるを得なくなりました。
「いったい、この習慣? は何ですか!?」
「あれ、イシカワさん、はじめてでしたっけ!?」
と近所の商店の娘さん(といって、たぶん、同世代)に気安く問われ、不可思議な習慣よりも、その娘さんの言動のほうに戸惑いながら、その光景を眺めていると、
「ご先祖さまを、こうやって送ってるんです」
なるほど、きょうは送り盆。
ところで、“娘さんの言動のほうに戸惑”うといったのは、こちらの性格のゆえか、長らく顔を見合わせていながら、あまり親しく話したことがなかったその娘さんを、いぶかしく感じていたことのあらわれであり、そんな娘さんに対する、こちらの驕りでもあるのでしょう。


 ひとは読み切りではなく、連載で見るようにしている。


とは、きのう交わした、親友への返答。
とはいえ、その連載がつまらなかった、、、ということもあります。
そんなわけで、長きに渡る“娘さん”の連載は、ここへきて、面白くなり始めた、、、といったところでしょうか。
「ありがとうございました」
と感謝の念を、その家のご先祖さまに伝えると、門灯のスイッチをONにしました。
誰かが、この家から、帰ってゆけるようにと、、、

*画像、もえぎさえこさんのブログ『関心空間』より、転載させていただいたことを附記します。
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by viola-mania | 2008-08-17 00:00 | 雑感

風渉。

長らく冷房のきいた部屋にいたせいか、暑いという意識にからだが反応しません。
長袖シャツをじかにまとったカラダ、そして、顔にも、汗をかいていないのです。
短いスパンで電車を乗り継ぎ、我が家についたところで、ドッと出る汗。
エコロジストを気取っているわけではないけれど、ここ数年、家では冷房を使わないようにしています。
さいわい我が家は、風の通り道にあるらしく、緑陰を透かしてよい風が抜けてゆくのです。


 内地でストレンジャーの意識に目覚めた詩人は、自分が「月の民」ではなく、「天幕
 の民」の後裔であることをいやおうなく自覚させられる。「天幕の民」は「月の民」
 と違って一定の土地に根をおろすことなく、地上を移動しながら暮らしており、それ
 ゆえ、不動の秩序を保つ「天」を地上の個々の場所よりもつねに身近に感じて生きて
 いる。彼らの行く先々で目前の風景は刻々、千変万化する。だがそれにひきかえ、頭
 上の星空は少しも変わらず不滅の美しさに輝いている。


文芸評論家、堀切直人さんの『飛行少年の系譜』をひらいたら、こんなことが記されていました。
確かに、彼らノマド(遊動民)は土地から相対的に分離独立した自らを強く意識しているかもしれないけれど、“不動の秩序を保つ「天」”のもとにあるかぎりは、誰の上にも、星は“不滅の美しさに輝いている”のです。
この風を心地よく感じる意識がある以上は、、、


 北方の洞窟で誕生した夜、産舎の上に鷲座(アクエラ)が南中してゐた。
                                吉田一穂「夏」
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by viola-mania | 2008-08-03 05:12 | 雑感

驚愕。

30年を一つの周期として、その時代はやってきます。
たとえば、アール・デコに代表される1920年代の美の様式は、幾何学模様と流線型のなかに集約されているし、たとえば、MGMミュージカルに代表される1950年代の美の様式は、シネ・ミュージカルの豪奢なセットとジーン・ケリーの華麗なダンスのなかに集約されています。
そして、セルジュ・ルタンスに代表される1980年代の美の様式は、資生堂の花椿とアウトオブ資生堂のインウイといった二つのブランドのなかに集約され、まもなく迎える2010年代の「美の様式」に、その期待が高まるばかりです。
とはいえ、その時代に感じる「美の様式」は、あくまで独断であり、偏見です。
ところで、こんな“独断”と“偏見”を自らに許している美意識の基礎は、その少年期を過ごした、1981年から1985年の時代の風潮、つまり、モードのなかに築かれているといってもいい過ぎではありません。


 「風は光になりました。香りは粉になりました、インウイ」
 「嘘を言ってはいけませんわたくしの目を見て、インウイ」
 「女性の美しさは都市の一部です、インウイ」
 「彼女には影の演出者がついています、インウイ」
 「カガミの隅まで染めてしまいそう、インウイ」
 「なにかに向かって燃えていますか、インウイ」
 「人生は選択、インウイ」


1981年から1985年、セルジュ・ルタンスプロデュースによる『インウイ』(オードパルファム)のキャッチコピーは、 その商品のコンセプトによるものか、女性が女性であることを謳歌しているといった、その時代の風潮を反映させるもの。
でも、ブラウン管の向こうにある世界が、ひとりの少年に気づかせたものは、「耽美」ということばであり、自らをかたちづくる「美の様式」でした。

*インウイ:驚愕
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by viola-mania | 2008-06-22 08:47 | 雑感

花屠。

曇天の下(もと)、門前の草取りを終えると、冷たいドリンクが欲しくなり、近所の商店へ買いに行きました。
自販機にコインをいれ、出てきた冷たいドリンクを掌(て)のなかに握ると、来た道を引き返す、、、不穏な気配。
小さなワゴンに記された、「葬儀」の文字。
そういえば、おおきな白木蓮のある家の主(あるじ)は、いつ逝って可笑しくない年格好。
礼服に身を包んだ従業員の楚々とした佇まいに、死とは、存外、そんな手続きのうちに片づいてしまうものなのでしょう、、、
と際限なく広がる白い空を見上げました。
さて、買ってきた冷たいドリンクを一足に飲み干すと、蛇腹本用の作品の推敲にかかりました。
作品は、書かれた側から、即読者、批評家といった視座を辿るけれど、「耽美、たんび」と思ったほどに、くどくありません。
これは、良いことなのか、悪いことなのか、、、
自分以外の読者の反応を待つとしましょう。

*画像、玄関先の支那薔薇を剪定している図。
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by viola-mania | 2008-06-15 16:49 | 雑感

横顔。

いつか誰かに、シブサワ(澁澤龍彦)ってどんなひと? と聞かれ、
「懐の広いひと」
と雑駁に応えたことがあったけれど、その際、つけ加えたかったことの一つに、
「シブサワの作品を愛好しないひとは、かつて美少年であったことのないひとだろうね」
との偏向がありました。
さて、きょうは、朝も早よから、“カナキン”へ“シブサワ”を観に行きました。
とくに最寄り駅ではない、「石川町」で降りると、これも、何ちゃら銀座の感がいなめない、元町の繁華街を抜け、「フランス山」を登り、「港の見える丘公園」に到着するや、
「ボー!!」
と汽笛が正午を報せました。
なるほど、“港が見える丘”だけのことはあります。
ところで、“カナキン”こと神奈川近代文学館を訪ねたのは、三年前に同館で催された、「三島由紀夫展」以来のことでしたが、あの日も、イギリス館の庭には薔薇がひらき、薫風が催しへの好奇を煽ったものでした。
さて、Tシャツの、ない襟を正すと、館内へ、、、
「一般、600円。学生のかたは、300円です」
ともぎりから少し離れた位置で、そういわれたとき、
「学生にも見えるのかなあ」
と襟を正すどころか、ラフ過ぎる格好に、さもありなんと合点がゆくのでした。
それから、ニ時間半。
本展の編集委員、高橋睦郎さんのことばどおり、
「すっかり、もてなしを受けてしまった」
つまり、もてなしの極意? とは、高橋さんいわく、時間を忘れさせることであり、そのサロンの主(あるじ)、シブサワのイノセントな魂に感応するひとときでもあるのでしょう。
だから、あらためて、シブサワってどんなひと? と聞かれれば、
「もてなしのひと」
と実感を込めて応えることができます。
そして、帰りのバスで乗合いになった美少年こそが、自らの思念(パンセ)の具現であることを、折りに触れて見かけるその美少年の横顔に確信しました。
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by viola-mania | 2008-06-08 06:50 | 雑感

簡素。

 聖書と青いカーディガン

愛用のMARUZENのノートが、店で品切れだったら、入荷日まで待つ。
そんなことに集約された生活は、窮屈だけど面白い。
たとえば、好んで着ている白色のシャツには、いまの季節であれば、青いカーディガンをはおらなければしっくりこないし、文机の座右には、新、旧二冊の聖書が置かれてなければ落ち着かない。

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 乳白色の灯り

時代でいえば、昭和の初期。
この乳白色の灯りの廻りに、おおきな蛾が呼ばれていれば、なおよい。
とはいえ、いまは、昭和の初期でもなければ、そんな、おおきな蛾も呼ばれてきそうにないので、この灯りの上部についたスイッチを、ぱちんと捻って、夢見るだけにとどめる。

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 ひとり掛けのソファと低い生活

低い生活といえば、小津安二郎である。
とはいえ、『小早川家の人々』にも『秋刀魚の味』にも、その家族が集まる低い団欒に、ひとり掛けのソファは出てこない。
でも、主演の原節子が、畳の上のひとり掛けのソファやクッションに、座っていたり、寝転んでいたり想像するのは、難しいことではない。

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そんな、簡素なくらしを、いつも念頭において暮らしてゆきたい。
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by viola-mania | 2008-05-18 00:06 | 雑感

諧和。

束ねた新聞紙を物置きに片付けると、雨上がりの地面に青い翅(はね)が落ちていました。
拾い上げて子細に眺めると、すでに、からだは廃墟と化し、二三匹のアリが、青い翅を摘んだ指先に立ち惑っています。
青い翅の持ち主は、ギボウシの葉がひらき始めるころになると、飛来するアゲハチョウで、「ミカド」という大層な名をその種目に冠した高雅な一羽。
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逡巡ののち、手にした花鋏(はなばさみ)で、廃墟の両翼を切断すると、手のひらには、青い翅だけが、空気の重さで残されました。
見上げた軒先には、ジャスミンがわらわらと繁り、その向こうに覗く青空が、どこか精彩を欠いて見えるのは、この手のひらにたたずむ青い翅のせいかしら。
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書斎に戻ると、水盤にぎっしりひらいたツツジの花が、死んだような精気に漲っていました。
五月のゆうまぐれ、そんな、静物たちの諧和を聞いた気がして、、、
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*画像、上、ミカドアゲハの翅、央、ジャスミン、下、ツツジ。
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by viola-mania | 2008-05-04 00:00 | 雑感