カテゴリ:雑感( 45 )

決断。

財布を落としたというともだちから、
「カネを貸して欲しい」
との電話があったのは、三日前のことでした。
その翌日、ともだちから届いていたメエルには、彼の口座番号が記されていて、「ひっかかるもの」(財布にはカード類がはいっていたと聞いていたし、その利用を停止した口座から、即座にカネを下ろすことは不可能ではないか! ?)を感じました。
もともと信用していないともだち? だけに、その推察も、つい、明智小五郎になってしまおうというもの。
だから、この三日間、考えた末に出した結論を、ともだちへの返信メエルとして送りました。
準備があれば、その決断も早いものです。
そんなわけで、これも三日前に届いていた「選挙広報」に目を通すと、先ほど、投票をしに、近くの公民館へ行ってきました。


 きびしいモラルの規制があるから、見のがし、聞きのがしが人間的になるのであり、さういふモラ
 ルの崩壊したところでは、見のがし、聞きのがしは、非人間的にさへなるのである。

                                三島由紀夫『葉隠入門』より


「きみからの電話、なかったことにする」
とともだちへの「決断」を、メエルの文末に記した朝。
「選挙」へ出向き、こころスッキリです。。。
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*画像、秋の影、このひっかかるもの。
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by viola-mania | 2009-08-30 09:44 | 雑感

朝涼。

ブーン、、、
と耳元でうなりをあげている、蚊の羽音に目を覚ますと、小庭の草取りの折り、玄関先に置きっぱなしにしてしまった、線香立てを取りに行きました。
この辺りの朝涼(ちょうりょう)は、その晩年をこの土地に暮らした、日本画家、鏑木清方の画(え)のタイトルにもなるほどに、清々しい。
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さて、蚊取線香に火をつけると、妨げられた夢の続きを、、、
といって、いつしか去った「朝涼」に、みた夢の続きが、悪夢かどうだったかは覚えていませんが、その寝苦しさに目覚めたことは確か。
そんなわけで、タンクトップの肩に、ぢりぢり照りつける陽(ひ)を厭(いと)わしく思いながらヒゲをあたっていたら、イベント(当初、出店を予定していた「COMITIA 89」)へ趣く奮起? もそがれてしまいました。
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さて、朝飯前とばかりにワープロに向かい、個人誌『薔薇窗』(20号、9月刊)の「編輯後記」を書いていたら、その意識とは裏腹に? 書き上がったそれに、大満足!!
というのも、母屋へ帰省して以来、とらわれていた「絶望感」が、その文を書いてゆくうち、さきほど、玄関先で感じた「朝涼」の清々しさで消えていったから。
「行(い)きよう」
と思った。。。
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 わが肌は汗のみ着つつうすびかれ愛すべし天衣無縫の生き方   剛

*画像、鏑木清方「朝凉」。
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by viola-mania | 2009-08-23 14:57 | 雑感

夏休。

自称、「夏休み」にはいり、それと同時に進行している、「ビュティ大作戦」も、その効果を見せ始めました。
そんなわけで、けさは、ラップで巻いた氷を目の上にあて、その収縮によるマッサージをこころみました。
はい、メガシャッキ!!
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「出来ました!!」
との近所のともだちからの電話に、でも、こちらはちょうど、彼の歌稿の入力にかかっていたところで、わざわざ訪ねてくれた、この来客を10分少々待たせる仕儀となった;
さて、出力し終えたそれに、その場で朱をいれてもらうと、彼の手になるブック・カバーをいただきました。
素人とは思えぬ出来映えに、俄然、読む気が湧いてきた!!
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図書館からの帰り道。
立ち寄ったストアで、すいかをダイスカットで買い、真っ赤なそれを二切れ食べる。
これも図書館で借りてきた、河上徹太郎『私の詩と真実』を読みながら、いつまで続くのだろう熱帯夜を、小林秀雄をして、「X」といわしめたこの文学者とともに過ごすとしょう。。。
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*画像、上、これをこうしてスッキリさん♪ 中、剛ちゃん謹製ブック・カバー、下、この甘さがたまらん!!
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by viola-mania | 2009-08-16 07:17 | 雑感

気質。

自称も含めたガーデナーたちのそれが、肉体労働の末に培われていると知ったきょうの庭仕事は、我が家の神木ともいえる桐の剪定から始まり、桜、薔薇、そして、花期を終えた紫陽花へと移って行ったとき、その剪定鋏(せんていばさみ)によって剪(き)り落とされた手ごたえに、それぞれの植物が持つ気質のようなものを感じました。
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剪(き)ってもすぐにおおきくなる桐は、そんな見かけに反して柔和で軟弱だし、桜の細い枝は、一思いに剪(き)れない強さと、それが剪(き)れたときに鳴らす音が小気味よくも潔い。
そんななか、一等、始末に負えないのが、薔薇です。
剪(き)った枝は、それを拾うこちらの指を容赦なく傷つけ、無理にたわめた枝は、ポリ袋をも引き破るといった利かぬ気。
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紫陽花の枯れた花は、その枝を剪(き)ってポリ袋へいれようとするこちらの気を咎めさせるほどに、枯れてもなお、その艶を失わないところが、かえって憎い。
そんな植物たちの気質を、首に巻いたタオルで、かいた汗を拭いながら、ふと、感じた昼下がり。
それでも、彼らは、こちらをお構いなしに、その生の強さを見せつけるばかり、、、負けちゃいられません!!
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*画像、上、ぐるぐる回ってます、中、我が家の神木、下、にわかガーデナー。
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by viola-mania | 2009-07-26 00:14 | 雑感

視線。

「目を見て話しなさい」
とはじめて勤めた会社の社長にいわれたとき、ひとの“目を見て話”すことの苦役を感じました。
だから、コンタクト・レンズをはずし、ひとの“目を見て話”してみたら、これまで畏(こわ)かった視線がぼやけて、楽に話せるようになりました。
とはいえ、日常生活に来たしたリスクはおおきかった。
二十代前半に患っていた? 視線恐怖症を克服したのは、三十代にはいる前のことでしたが、必要に迫られた荒療治は、ひとの視線のなかにそのこころをも読み取ってしまうといった、副作用をもたらしたのでした。


 失せし眼にひらく夜明の夢を刷き千草の文(あや)を雨あしの往く   海人


いまになって思えば、ひとの“目を見て話”すという行為は、こちらとあちらの信頼のうちに成り立つものであり、そのこころに、畏怖や猜疑や嫌悪や虚偽のいずれかが含まれていれば、やはり、ひとの“目を見て話”すことは、困難です。
とはいえ、ひとの“目を見て話”すという行為が、あちらに対する敬意を失しているという礼儀も、知らないこちらではありません。
だから、知らないあちらに対しては、一瞥をくれたあと、その視線をはずして話すようにしています。
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*画像、夜明の夢を刷き。
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by viola-mania | 2009-07-19 01:12 | 雑感

草踏。

冬なら湯呑みにいれた茶の立てる湯気の音、夏ならグラスに山と盛った氷が、その茶に解けて傾(かし)ぐ音。
日曜から月曜へと曜日が変わる刻限は、また、その一週間の終わりと始まりの境界であり、いわば、死が生へと息をふき返す刻限でもあるのでしょう。
なるほど、そんな微かな音が、吐息と聞こえてくるのも無理はありません。
“微かな音”といえば、この刻限に始まるアニメ『蟲師』を、そのブラウン管に映し出しているテレビの下から、聞こえてくるそれも、どこか、“吐息”のように聞こえないことはなく、、、
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とはいえ、これも、夜の静寂(しじま)が与える迷妄であり、この古い家屋に特有の家鳴りというものなのでしょう。
死んだ家屋なら、音を立てることもありませんから。
そういう類いの音。
ところで、三年前の秋から翌年の春まで、地上波にて放映された『蟲師』を、ようやくいまになって衛星波でみていたのもつかの間、その二十六話「草を踏む音」をもって、きのう(きょう)最終回となりました。
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折しも季節は梅雨。
その雨が山中に霧をもたらすなか、山越えをする複数の人影が、この山の持ち主である家の嫡子、沢(たく)には気がかりでした。
でも、その霧の向こうからこちらを見ている、沢(たく)と同じ少年の影のほうに、より興味を示していたこともいなめません。
少年の名は、イサザといいました。
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ところで、この山にある滝の水は神聖とされています。
だから、滝の水を、イサザを含めた余所ものに手出しされることを懸念していた沢(たく)は、でも、そのことを話した父親に、彼らのことを「渡り鳥と同じと思えばいい」といわれ、その気がかりも緩和してゆくのでした。
そんな折り、滝壷で釣りをしていた沢(たく)の前にイサザがあらわれ、「ここのヌシの子供」であるという沢(たく)に、イサザは、ワタリであるとの素姓を明かすと、この滝壷から採った魚を水のなかに戻すのでした。
「ヌシの子供のくせに、釣りが下手なんて」との皮肉をいいおいて、、、
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「嘘つきめ」
と草を結んでつくったイサザの罠(わな)とことばに躓(つまず)く沢(たく)。
イサザは、ほんとうの“ヌシ”がこの滝壷に棲(す)む、背に草の生えたおおきなナマズであるということを知り、たんに地主の子供であるとの沢(たく)のそれは、だから、ふたりの少年の認識に相違を与えたのです。
イサザの認識する“ヌシ”が、光脈筋のものであると知った沢(たく)は、イサザたちと同じように、この山が、常人には見えない色に染まることを知っていました。
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「こんどはそっちのこと、教えろよな」
とのイサザのそれに、
「髪が白くて目が緑で隻眼」
の少年を見たという、イサザの聞きたがっていた「普通の話」で応える沢(たく)。
つまり、その少年こそが、幼き頃のギンコというわけです。
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男(=沢<たく>)の回想録で始まる最終話は、だから、それに相応しい物語を期待していたこちらに、肩透かしを喰らわせた感がいなめません。
とはいえ、少年ギンコの立ち位置は、物語の終盤になってようやく登場した、現ギンコのそれと相俟って、この『蟲師』という物語が、何かと何かを繋ぐ線、いわば、その絆(きずな)の上に描かれていたことの証左であり、この最終話の結末になってそれと“気づかされる”ことでもあるのです。
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「イサザのことは覚えているか?」
と訊ねる沢(たく)。
「あいつなら、いまも馴染みだぜ。ここのことも、あいつに聞いてきたんだよ、そろそろ薬の必要な時期だろう、ってな」
と応えるギンコは、光脈の移動により衰退した山の惨状から、ひとに危害を及ぼす「蟲」だけがこの土地に残っているということを、イサザから聞いていました。
とはいえ、沢(たく)のことまでは、覚えていません。
そんなギンコに、
「これでいい」
と穏やかに微笑む沢(たく)。
まったくそのとおりでしょう。
なぜなら、友情とは、こころを使ってことばを用いまいとすることだし、相手がいかなる点で自分を選び、自分を好んでくれたかが、その両者のどちらにもけしてわからないことなのですから。
つまり、感情そのものよりも、つねに控え目にとどまっていることこそが、ともだち同士の愛情における、崇高な優雅さの一つなのです。
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「あいつも山も、ずいぶん様変わりしたもんだな。なぁ、元ヌシ殿よ」
とかつての滝壷に、“おおきなナマズ”を見て、独りごつギンコ。
グラスのなかの氷もすっかり解け、音を立てる何ものもなくなった夜半過ぎ、このアニメ『蟲師』を、そのブラウン管に映し出しているテレビの下から、聞こえてくるそれは、或いは、「蟲」の“吐息”なのかもしれません。
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*画像、「草を踏む音」&おまけ。
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by viola-mania | 2009-07-12 14:24 | 雑感

禁欲。

あすは、持ち帰り仕事の納品。
それにしても、月曜の夕刻から始めたその作業が、これほどまでに自らの生活をストイックなものにしようとは、、、
ある意味、それは、個人誌『薔薇窗』入稿前準備に、比肩するほど。
そんなわけで、これも個人誌『薔薇窗』の版下原稿を封にいれ、その発送を待つように、このたびの物件のそれを小包にしたものを沓脱ぎに立て掛けると、いまごろになって晴れてきたおもてへ出ました。
例年どおりひらいた、インド浜木綿の艶姿を、ケータイ・カメラでパチリ。
このところ、寝しなに読んでいる、ユッキーこと三島由紀夫の『禁色 第二部 秘楽』より、


 美といふものは本来最も独創から遠いものである……


といった一文が引きたくなりました。
なるほど、この植物は、きわめて自然に、その青春の一時期を謳歌しているかのように見えます。
とはいえ、そんな観念的な思索を凌駕できるのは、習慣といった怪物をおいて、ほかにないのです。
と、このストイックな四日間を振り返って、ふと、そんなことを考えました。
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さて、その二日目。
持ち帰り仕事だとて、その始業・終業時間は決まっています。
そんなわけで、いつもなら6時45分にとっている朝食を、9時45分に終えると、10時より作業開始。
正午に一時間の昼食、三時に30分の休憩をとると、六時までラストスパート。
きょうのノルマを終え、胸・脚、両用のクッションを脚からはずすと、頭にあてがい、しばし、夕寝。
夕食までのわずかな時間、疲弊した脳を休めるとしましょう。
あしたは、この物件の難所を越えなければなりません。
それにしても、夕風が心地よい。。。


 夕づつもあはあはひかりそめにけりあしたは越ゆべき峠のほとり   賢治
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さて、その三日目。
この物件の難所にはいるや、にわかに停滞したペースに、その雲行きも怪しくなりました。
「終わるんだろうか!?」
と、、、
いつしか聞こえなくなった雨音に、窓の向こうを仰いでみると、萌黄に染まった森が、その陽に明るい。
名前も知らない鳥のさえずりに、紛れて聞こえるケータイの着信音。
出てみると、この物件の担当くんでした。
「かくかくしかじか、もう一日オッケーです!!」
晴天の霹靂、否、霹靂の晴天とはこのこと!?
自由になったこころのままに畳みの上へ寝転び、『泣菫随筆』の続きを読んでいるうち、睡魔に襲われうたた寝。
窓の向こうを仰いでみると、鉄色に染まった森が、落ちた陽に暗い。


 雨やめどかへつて空は重りして青木も陰の見え初めにけり   賢治
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*画像、上、インド浜木綿の艶姿、中、もぞもぞ、下、鉄色に染まった森。
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by viola-mania | 2009-07-05 19:09 | 雑感

聖草。

花が終わり新たな芽を伸ばし始めたオールド・ローズの剪定(せんてい)がてら、ただでさえ小さな庭を狭めるように生え始めた雑草を刈りにかかりました。
長さを調節することで、全長が2メートほどにもなる植木鋏(ばさみ)を、いましがた枝を伐り終えたヒイラギの根方に置くと、こんどは、その枝から放射状に伸びている茎を剪定鋏で落とし、ポリ袋へ、、、
はて、粉をふいたブドウのような、ヒイラギの実が目につきました。
たわわに実ったそれを、ポリ袋にいれてしまうのがもったいなくて、実だけを集めたブーケ? をつくってみました。
部屋のどこかに置いておけば、案外、魔除けになるかもしれません。
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さて、刈った草や葉をいれたポリ袋の口を結わき、ふと、空を見上げると、ひと雨きそうな気配。
そんな鉛色した空の下、聖ヨハネ草の黄色い花が、ことしもひときわ鮮やかにひらいています。


 聖ヨハネ草:
 学名ヒュペリクム・ペルフォラートゥム[Hypericum perforatum]、山野に自生する多年草で、葉
 は単葉対生、夏から秋にかけて五弁の黄色い可憐な花を咲かせ、茎の高さはほぼ一メートルに達す
 る。聖ヨハネの名が冠せられているのは、イエス・キリストより半年早く生まれた洗礼者ヨハネの
 生誕日を祝う聖ヨハネ祭、つまりは夏至の祭り(六月二四日)で重要な役割を担う野草の一つだか
 らである。「ペルフォラータ」というラテン語名は、字義的には「孔のあいた」という意味であ
 り、葉面上に数多く分布する細かい透明な油点(日本に自生する種は黒色を呈する場合が多い)が
 孔に見えるところから付けられたものである。この薬草がもつ悪霊除けの効能を恐れた悪魔が悔し
 まぎれに針で開けた穴の跡、という伝承がアルプスやチロル地方に残っている。また、葉上の油点
 や根にある赤い点は、洗礼者ヨハネ斬首の際の血しぶきとも、十字架上のキリストの血の滴の跡と
 も伝承されている。

                   パラケルスス「聖ヨハネ草について」(岡部雄三訳)より



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オールド・ローズに、その座を譲られたかたちで、この「聖ヨハネ草」が、我が家の小庭の一角を領しています。
そんなわけで、“悪霊除け”との伝承もあるこの薬草を背景にいれた写真をパチリ。
一足早い、“聖ヨハネ祭”を、雲と雲の合間に覗いた太陽の下で行ってみました。
いまは、もう、暗い庭。。。
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*画像、上、ポリ袋へ、中、聖ヨハネ草、下、ことしの夏も乗り切れそう。
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by viola-mania | 2009-06-21 23:25 | 雑感

開通。

二日前から使用を自粛していたキッチンの流し場も、日中、大家さんが手配してくれた排水工事作業員のおかげで、すっきり開通。
ガタイもカンジもいい兄貴系の作業員と、その都合上、作業につき合わざるを得なくなったこちらの隣で、何だか応答のないもうひとりの作業員とは、なかなかどーしていいコンビネーションでした。
とはいえ、さいしょ、その作業員の態度と気転の悪さに、
「そこから沁みてきてるんだから、事前にぞうきんを置くなり対処してくれよ!! そんだけ水出してんだからさ」
とよっぽどいってやろうかと思ったけれど、いわずにおいてよかったと、そのあとのふたりのやり取りを、隣の部屋で聞きながら、ほっ!! と胸を撫で下ろしました。
どーやら、兄貴系の作業員は、その作業員の性格を把握した上で、ことを穏当に運んでいるらしいのです。
つまり、その作業員のこちらにはわからない何かを認めているのでしょう。
そんな空気が、この対極的なふたりの作業員の間合から感じられました。
だから、
「作業終わったら声かけてください」
といって、早々に、隣の部屋に引っ込んだことは、正解でした。
「お疲れさまでした」
と作業を終えたふたりを玄関先で見送ったとき、兄貴系の作業員の変わらぬカンジの良さの隣にあったのは、意外にも、その作業員の優しい笑顔でした。
そんなわけで、こちらとその作業員の間でも、何かが開通したようです。。。
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*画像、水を連想させる植物、水妖花(ヒドランゲア)。
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by viola-mania | 2009-06-14 00:35 | 雑感

華燭。

毎年、黄金週間の始まりは、晴れの得意日とされているけれど、女ともだちの晴れの日も、その他聞にもれず五月晴れでした。
さて、挙式は、聖餅の意を持つ女ともだちの名に相応しく、都内某所にあるカトリック教会で行われました。
こちらも“晴れの日”の得意品? となっている赤いネクタイを選ぶと、これも赤い蝋封緘(ろうふうかん)が捺された封筒からインビテーションを開き、同席するもうひとりの女ともだちの、「ウエディングドレスが見たい」との意向につき合うべく家を出たのはいいけれど、果たして、この夜のパーティへの招待状が、親族とともに行われる厳かな挙式へのそれになるのかといった、些細な不安が兆しました。
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とはいえ、教会の扉は誰にでも開かれているもの、、、
そんな杞憂も挙式が済み礼拝堂のそとへ出る頃には、この五月の風にあおられ、どこ吹くそれとばかりに消し飛んでいました。
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それにしても、バージンロードをともに歩く、なべての父親の背中は、どうしてこうも悲しげに見えるのでしょう。
いつか、男ともだちの披露宴の終いで、彼の父親が唄った言祝(ことほ)ぎの歌に聴いた喜びとは真逆のふたりの父親の印象に、送るものと迎えるものとの華燭の明暗を見たような気がしました。
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*画像、上、五月晴れと十字架、中、新婦からもらった小さな灯、下、礼拝堂のそとにも十字架。
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by viola-mania | 2009-05-03 11:40 | 雑感