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美暴。

一年前に完治した虫歯が、ふたたび疼き出しました。
とはいえ断続的な痛みではなく、患部にものが触れると痛む、知覚過敏というやつです。
そんな痛みのさなか目にした、日本画家、松井冬子さんの作品群は、でも、たんに神経への擬似的な刺激である歯痛とは、痛みの意味においてまったく別個のものでした。
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とりわけ、鎌倉時代に描かれた「九相詩絵巻(くそうしえまき)」とともに取り沙汰されることの多い『浄相の持続』(2004年)は、そこに描かれた女性の微笑と一見結びつかない様相を呈した身体が描かれていて、その「自ら腹を切り裂き、赤子のいる子宮をみせびらか」している女性の態度の方に、より痛みを感じるのは、松井さんのなかにある攻撃性がこの作品に露見しているからでしょう。
その態度を、ある美術評論家は、松井さんの伝聞から、「子宮以外の組織の発達において、女性は男性よりも劣るとされた解剖学的報告を引きながら、ならば冷徹な解剖学的身体の誇示を女性として行う表現をとった」と、その攻撃性を表明しています。
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ところで、宗教家、出口王仁三郎(でぐちおにざぶろう)が、「人類愛善会」という人類同朋運動を、大正14年に起こしたとき、その思想的立脚点の一つに、女性原理をいかに自分のなかに取り込んで調和させることが出来るか、、、というものがありました。
出口は、それを「火と水の結婚」といっていますが、そのことは、彼の「変性男子ー変性女子論」を引くまでもなく、ジェンダーとセックス、あるいは、攻撃性と非暴力を考えるための糸口なのです。
その糸口から、松井さんの『浄相の持続』を眺めてみると、自らの内部に異性性を発見・体験し、統合することの可否が、一つの問題として見えてきます。
攻撃性は、つねに異性との性をめぐる緊張関係のなかから出てくるもの。
また、この『浄相の持続』に影響を与えたといわれている、「九相詩絵巻(くそうしえまき)」が描かれた武士政権下の中世は、敗戦後以降の現代と一つの相似形をなしているように思えます。
両者の作品に見える、身体と意識の遠近法は、それが壊れることによって帰結し、そこにアブジェクト(=おぞましきもの)のもう一つのかたちを提示しているのかもしれません。
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*画像、上、「九相詩絵巻(くそうしえまき)」(部分)、中、「浄相の持続」(部分)、下、松井冬子(撮影:中川真人 WEBより転載)。
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by viola-mania | 2009-05-24 00:08 | 美術