スミレノオト
2009-09-05T09:15:55+09:00
viola-mania
ヴィオラ☆マニア 「茎」 雑記
Excite Blog
引越。
http://viola04.exblog.jp/10186271/
2009-09-01T00:00:00+09:00
2009-09-05T09:15:55+09:00
2009-09-05T09:11:35+09:00
viola-mania
告知
決断。
http://viola04.exblog.jp/10162514/
2009-08-30T09:44:00+09:00
2009-08-30T13:51:39+09:00
2009-08-30T09:44:26+09:00
viola-mania
雑感
「カネを貸して欲しい」
との電話があったのは、三日前のことでした。
その翌日、ともだちから届いていたメエルには、彼の口座番号が記されていて、「ひっかかるもの」(財布にはカード類がはいっていたと聞いていたし、その利用を停止した口座から、即座にカネを下ろすことは不可能ではないか! ?)を感じました。
もともと信用していないともだち? だけに、その推察も、つい、明智小五郎になってしまおうというもの。
だから、この三日間、考えた末に出した結論を、ともだちへの返信メエルとして送りました。
準備があれば、その決断も早いものです。
そんなわけで、これも三日前に届いていた「選挙広報」に目を通すと、先ほど、投票をしに、近くの公民館へ行ってきました。
きびしいモラルの規制があるから、見のがし、聞きのがしが人間的になるのであり、さういふモラ
ルの崩壊したところでは、見のがし、聞きのがしは、非人間的にさへなるのである。
三島由紀夫『葉隠入門』より
「きみからの電話、なかったことにする」
とともだちへの「決断」を、メエルの文末に記した朝。
「選挙」へ出向き、こころスッキリです。。。
*画像、秋の影、このひっかかるもの。]]>
朝涼。
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2009-08-23T14:57:00+09:00
2009-08-27T06:20:38+09:00
2009-08-23T14:57:22+09:00
viola-mania
雑感
と耳元でうなりをあげている、蚊の羽音に目を覚ますと、小庭の草取りの折り、玄関先に置きっぱなしにしてしまった、線香立てを取りに行きました。
この辺りの朝涼(ちょうりょう)は、その晩年をこの土地に暮らした、日本画家、鏑木清方の画(え)のタイトルにもなるほどに、清々しい。
さて、蚊取線香に火をつけると、妨げられた夢の続きを、、、
といって、いつしか去った「朝涼」に、みた夢の続きが、悪夢かどうだったかは覚えていませんが、その寝苦しさに目覚めたことは確か。
そんなわけで、タンクトップの肩に、ぢりぢり照りつける陽(ひ)を厭(いと)わしく思いながらヒゲをあたっていたら、イベント(当初、出店を予定していた「COMITIA 89」)へ趣く奮起? もそがれてしまいました。
さて、朝飯前とばかりにワープロに向かい、個人誌『薔薇窗』(20号、9月刊)の「編輯後記」を書いていたら、その意識とは裏腹に? 書き上がったそれに、大満足!!
というのも、母屋へ帰省して以来、とらわれていた「絶望感」が、その文を書いてゆくうち、さきほど、玄関先で感じた「朝涼」の清々しさで消えていったから。
「行(い)きよう」
と思った。。。
わが肌は汗のみ着つつうすびかれ愛すべし天衣無縫の生き方 剛
*画像、鏑木清方「朝凉」。]]>
夏休。
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2009-08-16T07:17:00+09:00
2009-08-14T08:50:02+09:00
2009-08-14T07:28:16+09:00
viola-mania
雑感
そんなわけで、けさは、ラップで巻いた氷を目の上にあて、その収縮によるマッサージをこころみました。
はい、メガシャッキ!!
「出来ました!!」
との近所のともだちからの電話に、でも、こちらはちょうど、彼の歌稿の入力にかかっていたところで、わざわざ訪ねてくれた、この来客を10分少々待たせる仕儀となった;
さて、出力し終えたそれに、その場で朱をいれてもらうと、彼の手になるブック・カバーをいただきました。
素人とは思えぬ出来映えに、俄然、読む気が湧いてきた!!
図書館からの帰り道。
立ち寄ったストアで、すいかをダイスカットで買い、真っ赤なそれを二切れ食べる。
これも図書館で借りてきた、河上徹太郎『私の詩と真実』を読みながら、いつまで続くのだろう熱帯夜を、小林秀雄をして、「X」といわしめたこの文学者とともに過ごすとしょう。。。
*画像、上、これをこうしてスッキリさん♪ 中、剛ちゃん謹製ブック・カバー、下、この甘さがたまらん!!]]>
三体。
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2009-08-09T20:45:54+09:00
2009-08-09T20:45:48+09:00
2009-08-09T20:45:48+09:00
viola-mania
運動
などと訝(いぶか)りながらひらいた本書、『三島由紀夫論 命の形』、すこぶる面白く、あっというまに、その半分を読み終えてしまいました。
そんなわけで、ユッキーの二つのエッセイ集、『アポロの杯』と『太陽と鉄』より、ユッキーが「形」と出逢い、その「形」になってゆくまでの経過を、小説『金閣寺』の主題である、「形」を生み出しながら破壊する力の物語によって、その文体と肉体との自己改造が、「形の思想」としてユッキーのなかに根づいていったことを知りました。
なるほど、このことは、筋肉の形成過程にも似ています。
ゆえに、その「筋肉」を獲得したユッキーの自己意識に、自然な「形」で結びついていったのでしょう。
さて、残り半分、
文体と肉体と共同体との、それぞれの体の形態を生み出し、動かしている、生命の動きに通じる道
に、三島は入ったのだった。
*画像、上、小杉英了「三島由紀夫論 命の形」三一書房刊、下、自然な「形」で結びついていった、、、だから、その目は見れません。]]>
水色。
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2009-08-02T09:18:00+09:00
2009-08-01T09:22:22+09:00
2009-08-01T09:22:22+09:00
viola-mania
少年
新聞を取りに郵便受けをあけると、見覚えのある筆蹟が目にはいり、早速、その小包をといてみると、
Crows and Pearls
とタイトルが記された、水色の包みがあらわれました。
写真家、森栄喜さんから、彼のファースト写真集が届く。
水色の包みをあけ、14枚の写真の裏に記された、ひとつの物語に目を通します。
水色のシャツの袖口が、写真と物語を捲ることすら、誰かの記憶の断片を見るかのような、そんな夏の朝のひとコマ。。。
*画像、Crows and Pearls/写真 森栄喜 物語 小林小路]]>
気質。
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2009-07-26T00:14:00+09:00
2009-07-26T19:07:20+09:00
2009-07-26T00:14:11+09:00
viola-mania
雑感
剪(き)ってもすぐにおおきくなる桐は、そんな見かけに反して柔和で軟弱だし、桜の細い枝は、一思いに剪(き)れない強さと、それが剪(き)れたときに鳴らす音が小気味よくも潔い。
そんななか、一等、始末に負えないのが、薔薇です。
剪(き)った枝は、それを拾うこちらの指を容赦なく傷つけ、無理にたわめた枝は、ポリ袋をも引き破るといった利かぬ気。
紫陽花の枯れた花は、その枝を剪(き)ってポリ袋へいれようとするこちらの気を咎めさせるほどに、枯れてもなお、その艶を失わないところが、かえって憎い。
そんな植物たちの気質を、首に巻いたタオルで、かいた汗を拭いながら、ふと、感じた昼下がり。
それでも、彼らは、こちらをお構いなしに、その生の強さを見せつけるばかり、、、負けちゃいられません!!
*画像、上、ぐるぐる回ってます、中、我が家の神木、下、にわかガーデナー。]]>
視線。
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2009-07-19T01:12:00+09:00
2009-07-19T05:23:59+09:00
2009-07-19T01:12:20+09:00
viola-mania
雑感
とはじめて勤めた会社の社長にいわれたとき、ひとの“目を見て話”すことの苦役を感じました。
だから、コンタクト・レンズをはずし、ひとの“目を見て話”してみたら、これまで畏(こわ)かった視線がぼやけて、楽に話せるようになりました。
とはいえ、日常生活に来たしたリスクはおおきかった。
二十代前半に患っていた? 視線恐怖症を克服したのは、三十代にはいる前のことでしたが、必要に迫られた荒療治は、ひとの視線のなかにそのこころをも読み取ってしまうといった、副作用をもたらしたのでした。
失せし眼にひらく夜明の夢を刷き千草の文(あや)を雨あしの往く 海人
いまになって思えば、ひとの“目を見て話”すという行為は、こちらとあちらの信頼のうちに成り立つものであり、そのこころに、畏怖や猜疑や嫌悪や虚偽のいずれかが含まれていれば、やはり、ひとの“目を見て話”すことは、困難です。
とはいえ、ひとの“目を見て話”すという行為が、あちらに対する敬意を失しているという礼儀も、知らないこちらではありません。
だから、知らないあちらに対しては、一瞥をくれたあと、その視線をはずして話すようにしています。
*画像、夜明の夢を刷き。]]>
樒雨。
http://viola04.exblog.jp/9974373/
2009-07-12T14:45:00+09:00
2009-07-12T17:36:34+09:00
2009-07-12T14:45:38+09:00
viola-mania
少年
小さな山の頂(いただ)きにあるこの古い動物園へ辿り着くには、その途中にある公園を迂回して行かなければなりません。
そんなわけで、急な勾配に息を切らしたこちらが、目の前にあるベンチへ腰掛けると、
「少し話そうか」
とさりげなく、その青年にも腰掛けるよう促してみます。
さて、寡黙な青年に二三の質問を投げ掛けると、その応えを聞くなり途切れた会話。
とはいえ、気まずい空気は、互いの上に感じられません。
暮れ方の公園にどよもす喚声。
近くに学校があるようです。
その声の方へ青年が歩き出したので、これに従い、学校のグラウンドを走る少年たちを見下ろしていたら、
ポツ、、、ポツ、、、
と何かが落ちる音がしました。
降り出した雨のように落ちてきたのは、樒(しきみ)の花で、その巨木の下で、青年とふたり、しばし、追想のときを過ごしていたようです。
「中学生のとき、同級生に告白されてから、そいつとは、高校生になるまでつき合ってたんだけど、あとは、それっきり、、、そっちは?」
と青年がいえば、
「動物園、閉まっちゃったかもね」
と何の脈絡もなくこれに応えてみます。
だって、好きだった同級生が、死んでしまったとは、いくらなんでも、こんなベタなシチュエーションじゃ、いえないよね。
ところで、青年のどこか抹香臭い風貌から、この“樒(しきみ)の花”の特性を思い出したのは確か。
案の定、閉まっていた動物園を尻目に、横浜の町が一望出来る場所へ青年を案内すると、暮れ方の景色を見下ろしながら、亡くなった同級生のことを考え、ついで、青年の口から彼の両親が亡くなったと聞かされたとき、
ポツ、、、ポツ、、、
と降り出した雨が、頬を濡らすのを感じました。
*画像、上、或日の動物園、中、樒の花、下、或日の眺め。]]>
草踏。
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2009-07-12T14:24:00+09:00
2009-06-30T11:20:19+09:00
2009-06-29T14:41:51+09:00
viola-mania
雑感
日曜から月曜へと曜日が変わる刻限は、また、その一週間の終わりと始まりの境界であり、いわば、死が生へと息をふき返す刻限でもあるのでしょう。
なるほど、そんな微かな音が、吐息と聞こえてくるのも無理はありません。
“微かな音”といえば、この刻限に始まるアニメ『蟲師』を、そのブラウン管に映し出しているテレビの下から、聞こえてくるそれも、どこか、“吐息”のように聞こえないことはなく、、、
とはいえ、これも、夜の静寂(しじま)が与える迷妄であり、この古い家屋に特有の家鳴りというものなのでしょう。
死んだ家屋なら、音を立てることもありませんから。
そういう類いの音。
ところで、三年前の秋から翌年の春まで、地上波にて放映された『蟲師』を、ようやくいまになって衛星波でみていたのもつかの間、その二十六話「草を踏む音」をもって、きのう(きょう)最終回となりました。
折しも季節は梅雨。
その雨が山中に霧をもたらすなか、山越えをする複数の人影が、この山の持ち主である家の嫡子、沢(たく)には気がかりでした。
でも、その霧の向こうからこちらを見ている、沢(たく)と同じ少年の影のほうに、より興味を示していたこともいなめません。
少年の名は、イサザといいました。
ところで、この山にある滝の水は神聖とされています。
だから、滝の水を、イサザを含めた余所ものに手出しされることを懸念していた沢(たく)は、でも、そのことを話した父親に、彼らのことを「渡り鳥と同じと思えばいい」といわれ、その気がかりも緩和してゆくのでした。
そんな折り、滝壷で釣りをしていた沢(たく)の前にイサザがあらわれ、「ここのヌシの子供」であるという沢(たく)に、イサザは、ワタリであるとの素姓を明かすと、この滝壷から採った魚を水のなかに戻すのでした。
「ヌシの子供のくせに、釣りが下手なんて」との皮肉をいいおいて、、、
「嘘つきめ」
と草を結んでつくったイサザの罠(わな)とことばに躓(つまず)く沢(たく)。
イサザは、ほんとうの“ヌシ”がこの滝壷に棲(す)む、背に草の生えたおおきなナマズであるということを知り、たんに地主の子供であるとの沢(たく)のそれは、だから、ふたりの少年の認識に相違を与えたのです。
イサザの認識する“ヌシ”が、光脈筋のものであると知った沢(たく)は、イサザたちと同じように、この山が、常人には見えない色に染まることを知っていました。
「こんどはそっちのこと、教えろよな」
とのイサザのそれに、
「髪が白くて目が緑で隻眼」
の少年を見たという、イサザの聞きたがっていた「普通の話」で応える沢(たく)。
つまり、その少年こそが、幼き頃のギンコというわけです。
男(=沢<たく>)の回想録で始まる最終話は、だから、それに相応しい物語を期待していたこちらに、肩透かしを喰らわせた感がいなめません。
とはいえ、少年ギンコの立ち位置は、物語の終盤になってようやく登場した、現ギンコのそれと相俟って、この『蟲師』という物語が、何かと何かを繋ぐ線、いわば、その絆(きずな)の上に描かれていたことの証左であり、この最終話の結末になってそれと“気づかされる”ことでもあるのです。
「イサザのことは覚えているか?」
と訊ねる沢(たく)。
「あいつなら、いまも馴染みだぜ。ここのことも、あいつに聞いてきたんだよ、そろそろ薬の必要な時期だろう、ってな」
と応えるギンコは、光脈の移動により衰退した山の惨状から、ひとに危害を及ぼす「蟲」だけがこの土地に残っているということを、イサザから聞いていました。
とはいえ、沢(たく)のことまでは、覚えていません。
そんなギンコに、
「これでいい」
と穏やかに微笑む沢(たく)。
まったくそのとおりでしょう。
なぜなら、友情とは、こころを使ってことばを用いまいとすることだし、相手がいかなる点で自分を選び、自分を好んでくれたかが、その両者のどちらにもけしてわからないことなのですから。
つまり、感情そのものよりも、つねに控え目にとどまっていることこそが、ともだち同士の愛情における、崇高な優雅さの一つなのです。
「あいつも山も、ずいぶん様変わりしたもんだな。なぁ、元ヌシ殿よ」
とかつての滝壷に、“おおきなナマズ”を見て、独りごつギンコ。
グラスのなかの氷もすっかり解け、音を立てる何ものもなくなった夜半過ぎ、このアニメ『蟲師』を、そのブラウン管に映し出しているテレビの下から、聞こえてくるそれは、或いは、「蟲」の“吐息”なのかもしれません。
*画像、「草を踏む音」&おまけ。]]>
禁欲。
http://viola04.exblog.jp/9906146/
2009-07-05T19:09:00+09:00
2009-06-26T08:47:56+09:00
2009-06-25T19:24:50+09:00
viola-mania
雑感
それにしても、月曜の夕刻から始めたその作業が、これほどまでに自らの生活をストイックなものにしようとは、、、
ある意味、それは、個人誌『薔薇窗』入稿前準備に、比肩するほど。
そんなわけで、これも個人誌『薔薇窗』の版下原稿を封にいれ、その発送を待つように、このたびの物件のそれを小包にしたものを沓脱ぎに立て掛けると、いまごろになって晴れてきたおもてへ出ました。
例年どおりひらいた、インド浜木綿の艶姿を、ケータイ・カメラでパチリ。
このところ、寝しなに読んでいる、ユッキーこと三島由紀夫の『禁色 第二部 秘楽』より、
美といふものは本来最も独創から遠いものである……
といった一文が引きたくなりました。
なるほど、この植物は、きわめて自然に、その青春の一時期を謳歌しているかのように見えます。
とはいえ、そんな観念的な思索を凌駕できるのは、習慣といった怪物をおいて、ほかにないのです。
と、このストイックな四日間を振り返って、ふと、そんなことを考えました。
さて、その二日目。
持ち帰り仕事だとて、その始業・終業時間は決まっています。
そんなわけで、いつもなら6時45分にとっている朝食を、9時45分に終えると、10時より作業開始。
正午に一時間の昼食、三時に30分の休憩をとると、六時までラストスパート。
きょうのノルマを終え、胸・脚、両用のクッションを脚からはずすと、頭にあてがい、しばし、夕寝。
夕食までのわずかな時間、疲弊した脳を休めるとしましょう。
あしたは、この物件の難所を越えなければなりません。
それにしても、夕風が心地よい。。。
夕づつもあはあはひかりそめにけりあしたは越ゆべき峠のほとり 賢治
さて、その三日目。
この物件の難所にはいるや、にわかに停滞したペースに、その雲行きも怪しくなりました。
「終わるんだろうか!?」
と、、、
いつしか聞こえなくなった雨音に、窓の向こうを仰いでみると、萌黄に染まった森が、その陽に明るい。
名前も知らない鳥のさえずりに、紛れて聞こえるケータイの着信音。
出てみると、この物件の担当くんでした。
「かくかくしかじか、もう一日オッケーです!!」
晴天の霹靂、否、霹靂の晴天とはこのこと!?
自由になったこころのままに畳みの上へ寝転び、『泣菫随筆』の続きを読んでいるうち、睡魔に襲われうたた寝。
窓の向こうを仰いでみると、鉄色に染まった森が、落ちた陽に暗い。
雨やめどかへつて空は重りして青木も陰の見え初めにけり 賢治
*画像、上、インド浜木綿の艶姿、中、もぞもぞ、下、鉄色に染まった森。]]>
青脚。
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2009-06-28T17:23:00+09:00
2009-06-21T17:26:38+09:00
2009-06-21T17:26:38+09:00
viola-mania
少年
待てど暮らせど来ないバスの到着に、なかば、ゴウを煮やすかたちで、いっかな点かない、その停留灯をにらんでいたら、
「もう、バス来る?」
と蝶のように飛来した? 少年から訊かれ、
「うん、そろそろ」
と応えてみるも、その定刻からユウに10分は過ぎていました。
タメグチで問い続ける少年のそれに、どちらが少年であるのか? といった実直さで応えているうち、その少年は、ふたたび、蝶のように飛翔しました。
さて、ようやく到着したバスの車窓から、通りを歩く少年に手を振り、その滑走に優越を感じていたのもつかの間、乗り込むひとの多さと渋滞に、どちらが蝶であるのか? といった閉息を感じました。
「青ぞらの脚」といふものひらめきて監獄馬車の窓を過ぎたり 賢治
*画像、青ぞらの脚。]]>
大船。
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2009-06-28T00:44:00+09:00
2009-07-26T19:22:32+09:00
2009-06-20T00:51:52+09:00
viola-mania
文学
電車は大船に着いた。二人は駅のむかうの山あひに、うつむいてゐる高い観音像の項(うなじ)
が、煙つた緑の木々を抜きん出て、灰色の空に接してゐるのを見た。駅は閑散である。
こんな描写に、近くにいらっしゃいながら、一度も詣でたことのなかった大船観音寺へ、その観音さまを見に行きたくなりました。
ところで、観音像の竣工は、昭和35年ですが、その着工は、それを遡ること30年前。
工事が着手されたその年、昭和4年は、世界大恐慌のさなかにあり、そんな世相のなかで、観音像を建立するべく寄付金集めは困難を極めました。
そんなわけで、その五年後、観音像は未完成の状態で工事を中断、そのあとに起った戦争を眺め、敗戦したこの国の経済が持ち直し始めた、昭和30年まで、工事の再開を待たなければなりませんでした。
さて、こんな事情を、ユッキーの書いた「大船観音」の描写に照らすと、悠一と俊輔、否、彼が見た観音さまは、白衣(びゃくえ)をまとった、いまのお姿のものではなく、未完成の状態で放置されていた「大船観音」ということになります。
そんな観音さまをひとわたり眺め、大船駅からバスに乗って鎌倉駅へ戻ると、この「大船」という駅が、ユッキーの描写どおり、疾うから“閑散であ”ったということがわかりました!!
とはいえ、市民にやさしい大船が、そんなところも含めて大好きです。
*画像、大船観音はいいぞ!!]]>
聖草。
http://viola04.exblog.jp/9869999/
2009-06-21T23:25:00+09:00
2009-06-18T07:36:28+09:00
2009-06-16T23:35:50+09:00
viola-mania
雑感
長さを調節することで、全長が2メートほどにもなる植木鋏(ばさみ)を、いましがた枝を伐り終えたヒイラギの根方に置くと、こんどは、その枝から放射状に伸びている茎を剪定鋏で落とし、ポリ袋へ、、、
はて、粉をふいたブドウのような、ヒイラギの実が目につきました。
たわわに実ったそれを、ポリ袋にいれてしまうのがもったいなくて、実だけを集めたブーケ? をつくってみました。
部屋のどこかに置いておけば、案外、魔除けになるかもしれません。
さて、刈った草や葉をいれたポリ袋の口を結わき、ふと、空を見上げると、ひと雨きそうな気配。
そんな鉛色した空の下、聖ヨハネ草の黄色い花が、ことしもひときわ鮮やかにひらいています。
聖ヨハネ草:
学名ヒュペリクム・ペルフォラートゥム[Hypericum perforatum]、山野に自生する多年草で、葉
は単葉対生、夏から秋にかけて五弁の黄色い可憐な花を咲かせ、茎の高さはほぼ一メートルに達す
る。聖ヨハネの名が冠せられているのは、イエス・キリストより半年早く生まれた洗礼者ヨハネの
生誕日を祝う聖ヨハネ祭、つまりは夏至の祭り(六月二四日)で重要な役割を担う野草の一つだか
らである。「ペルフォラータ」というラテン語名は、字義的には「孔のあいた」という意味であ
り、葉面上に数多く分布する細かい透明な油点(日本に自生する種は黒色を呈する場合が多い)が
孔に見えるところから付けられたものである。この薬草がもつ悪霊除けの効能を恐れた悪魔が悔し
まぎれに針で開けた穴の跡、という伝承がアルプスやチロル地方に残っている。また、葉上の油点
や根にある赤い点は、洗礼者ヨハネ斬首の際の血しぶきとも、十字架上のキリストの血の滴の跡と
も伝承されている。
パラケルスス「聖ヨハネ草について」(岡部雄三訳)より
オールド・ローズに、その座を譲られたかたちで、この「聖ヨハネ草」が、我が家の小庭の一角を領しています。
そんなわけで、“悪霊除け”との伝承もあるこの薬草を背景にいれた写真をパチリ。
一足早い、“聖ヨハネ祭”を、雲と雲の合間に覗いた太陽の下で行ってみました。
いまは、もう、暗い庭。。。
*画像、上、ポリ袋へ、中、聖ヨハネ草、下、ことしの夏も乗り切れそう。]]>
開通。
http://viola04.exblog.jp/9857278/
2009-06-14T00:35:51+09:00
2009-06-14T00:35:53+09:00
2009-06-14T00:35:53+09:00
viola-mania
雑感
ガタイもカンジもいい兄貴系の作業員と、その都合上、作業につき合わざるを得なくなったこちらの隣で、何だか応答のないもうひとりの作業員とは、なかなかどーしていいコンビネーションでした。
とはいえ、さいしょ、その作業員の態度と気転の悪さに、
「そこから沁みてきてるんだから、事前にぞうきんを置くなり対処してくれよ!! そんだけ水出してんだからさ」
とよっぽどいってやろうかと思ったけれど、いわずにおいてよかったと、そのあとのふたりのやり取りを、隣の部屋で聞きながら、ほっ!! と胸を撫で下ろしました。
どーやら、兄貴系の作業員は、その作業員の性格を把握した上で、ことを穏当に運んでいるらしいのです。
つまり、その作業員のこちらにはわからない何かを認めているのでしょう。
そんな空気が、この対極的なふたりの作業員の間合から感じられました。
だから、
「作業終わったら声かけてください」
といって、早々に、隣の部屋に引っ込んだことは、正解でした。
「お疲れさまでした」
と作業を終えたふたりを玄関先で見送ったとき、兄貴系の作業員の変わらぬカンジの良さの隣にあったのは、意外にも、その作業員の優しい笑顔でした。
そんなわけで、こちらとその作業員の間でも、何かが開通したようです。。。
*画像、水を連想させる植物、水妖花(ヒドランゲア)。]]>
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