隣家。

この土地に古くから住む、我が家とは庭続きではないお隣さんと、ことばらしいことばを交わしたのは、はじめてのことでした。
「この八段ある塀のうち二段を壊させてもらいます、、、市の条例で、六段以上積んではいけないことになっていますので」
というご主人とは、一時期、同じバスに乗り合わせたことがあったけれど、その朴訥とした見かけどおりのアルトは、夕闇につつまれたご主人の姿と相まって、オイラに、大樹のような強い存在感を与えました。
一方、奥さんのほうは能弁なソプラノで、その塀を取り壊すといった我が家との垣根を越えて、近く、娘夫婦と同居すること、それについては、家を建て直し二世帯住宅にすることなどの諸事情を、そのかたわらで大樹ぜんとしているご主人の枝に止まり、歌うように語っていました。
「で、工事はいつまでなんですか?」
「10月までの予定です」
といって薄暮の情景のなか、それだけがひときわ目を惹いていた、黄色い小さな包みをオイラに手渡しながら、
「これ、つまらないものですけど」
との義理立てを、オイラにお仕着せるのでした。
とはいえ、この夫婦の申し立てに、意義などあろうはずもないオイラは、その仕着(しきせ)に袖を通しつつ、これまで、顔を合わせていながら、そのタイミングを逸し、挨拶ができないでいたことを詫びたのです。
長らく隣に住んでいながら、ただの一度も挨拶をしなかったことは、オイラの理屈に適った方便であるのですが、やっぱりそれでは、ひととして重要な欠陥があると感じたからでした。
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それから二週間あまりが過ぎ、、、
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隣の家がなくなり、新たな家屋が建つまでのつかの間、思いもよらずにもたらされた、この日当りと見晴らしは、いったい、、、
これまで、そんな天よりの恵み? があったことを、知らずに暮らしてきたオイラは、でも、そのことを尊ぶよりも、その家屋がなくなったことで、外からの風当りと見晴らしとを、気にしなければならなくなった、築50年にもなる我が家と、その浅茅生(あさじふ)を、うとましく感じるのでした。
「すみませーん!!」
と外からの呼び掛けに、玄関先へ出てみると、八段あったブロック塀は、その半分を残し取り壊されていて、ついで、
「壁を壊したとき、自転車も壊しちゃいまして、、、」
と前輪のスポークを示しながら、その申しわけをしている作業員に、でも、悪気があってそうしたわけでもあるまいと、しばらく乗らないうちにすっかり錆びついてしまった自転車と、作業員の顔をとみこうみしながら、
「走れるようにしてもらえればいいですよ」
と我ながら寛容な態度。
とはいえ、錆ついた自転車を目の前に、強い態度をとれなかったというのが、実際のところでした。
はたして、錆ついているのは自転車だけでしょうか、、、
と散髪のおり、その店のご主人との会話のうちに、そんなことを考えました。
「でも、そーいう家って、或意味、この町の文化だぜ」
というご主人のそれに、隣の家屋なきあと、そこにぽつねんと佇む、我が家と、その“浅茅生(あさじふ)を、うとましく感じ”ていた気持ちが、少し晴れたような気がしました。
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*画像、上、解体工事が始まったお隣を小庭越しに臨むの図、中、日当り、見晴らし、ともに良好、下、村井さんのヘルメット。
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by viola-mania | 2009-02-08 11:29 | 雑感


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