隣愛。

物事をそつなくこなすことが美徳とされる世の中で、ふと、“そつなくこなす”ことの意味を考えてみました。
物事を“そつなくこなす”ためには、それをこなすひとの周りに点在している“物事”に優先順位をつけ、その順番どおり、それをこなしてゆけば、世の中の美徳に適った行いをすることは、造作もないことでしょう。
でも、この“優先順位”が自分本意なものであったら、、、自分からしてみれば美徳であると感じられることも、世の中からしてみれば悪徳であると感じられるかもしれないね。
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そんなことを考えながら、そろそろ、我が家を覆い始めた、柴(しば)を枝切りバサミで、ザクザク刈っていたら、隣の家のご主人に声をかけられました。
「一気にやらなくても、どーせ、すぐに生えてくるんだから、ゆっくりやればいいよ」
といわれ、もともと、やぶ蚊に刺されることを覚悟した、苦手な柴刈りだけに、何だか気持ちが楽になりました。
「あしたは用事があるんで、、、」
といって断った役員からの出動要請も、仕事よりもまずは、柴刈りといった、“優先順位”に倣ったがため。
はたして、これは、自分本意な“優先順位”であるのでしょうか。
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でも、親友のそれは少し違って、、、
「僕のこころを打ったのは、いつか、家に柴刈りに来て欲しいと頼んだときに、<僕じゃなきゃダメなの??>と聞いたきみに対して、<きみじゃなきゃダメなの!!>といった、僕の我がままを聞きいれてくれたきみが、実は、腰を患っていたということを、柴刈りに来てくれた当日に聞いて、このひとは、自分のことよりも、それを望む相手のことを優先させるひとなんだと思ったこと」
そういえば、隣の家のご主人も、ひと知れず、我が家の柴を刈ってくれていることに気づいたとき、親友の厚意とともに、これが隣人に対する愛なのだな、と感じました。
柔らかな秋の日を眺めつつ、ぼんやりと。。。
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*画像、小庭の秋。
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by viola-mania | 2008-10-05 00:17 | 雑感


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