夜想。

日中にのんだ鼻炎薬がいけませんでした。
つうー、、、
と伝う鼻水に、始めて服用するカプセル、ひとつ嚥下。
それでも止まらぬ鼻水にマスクをあてがい、何とか仕事は終えたものの、薬の副作用が帰宅の途上に見せたものは、或いは、幻覚であったのかもしれません。


 詩人や画家などの芸術家は、合理的な知性というものに気をつけろと警告を発しつづ
 けてきたのだ。ブレイクはこの合理的知性を彼の予言書の悪玉とし(ユリゼン「理性」
 と呼んでいる)、ワーズワースも、私たちが成長するにつれじわじわと迫ってくる「牢
 獄の影」は主に合理的知性のせいなのだと認識していたし、アラビアのロレンスは知
 性を彼の「看守」と呼び、物質的現実の豊かさ複雑さが思考によって「篩(ふるい)に
 かけられ、類型化されられ」てしまうと書いたのだった。

           コリン・ウィルソン『フランケンシュタインの城』部分より。


どうやら、“薬の副作用”は、日頃、左脳の支配下にある意識の活動を停止させ、右脳の意識の活動を助長させたとおぼしいのです。
山道を登る街道の途中にある「岐(わか)れ道」で、自転車に跨がり、信号待ちをしていた、手足の長い顔面蒼白の少年とも老年ともつかぬあのひとは、、、
夜の車窓に、あてがったマスクの片頬を映し、その向こうに佇むあのひとと交わした眼差しは、一瞬のようにも一生のようにも思われました。
あれは、右脳が現出せしめた、パンセの具現であったのかもしれませんね。

*画像、鳩山郁子「青い菊」より。
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by viola-mania | 2008-09-14 08:38 | 雑感


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