視線。

「目を見て話しなさい」
とはじめて勤めた会社の社長にいわれたとき、ひとの“目を見て話”すことの苦役を感じました。
だから、コンタクト・レンズをはずし、ひとの“目を見て話”してみたら、これまで畏(こわ)かった視線がぼやけて、楽に話せるようになりました。
とはいえ、日常生活に来たしたリスクはおおきかった。
二十代前半に患っていた? 視線恐怖症を克服したのは、三十代にはいる前のことでしたが、必要に迫られた荒療治は、ひとの視線のなかにそのこころをも読み取ってしまうといった、副作用をもたらしたのでした。


 失せし眼にひらく夜明の夢を刷き千草の文(あや)を雨あしの往く   海人


いまになって思えば、ひとの“目を見て話”すという行為は、こちらとあちらの信頼のうちに成り立つものであり、そのこころに、畏怖や猜疑や嫌悪や虚偽のいずれかが含まれていれば、やはり、ひとの“目を見て話”すことは、困難です。
とはいえ、ひとの“目を見て話”すという行為が、あちらに対する敬意を失しているという礼儀も、知らないこちらではありません。
だから、知らないあちらに対しては、一瞥をくれたあと、その視線をはずして話すようにしています。
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*画像、夜明の夢を刷き。
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by viola-mania | 2009-07-19 01:12 | 雑感


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